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次の転機は、
2011.3.11「東日本大震災」でした。
何もわかってなかったことに気づかされました。
遡って、
当時の「オープンキッチン(料理教室)」に行ったのが多分2003年。
「サバイバルセミナー」(現在のScene1&3)を受けたのが2006年。
こんなに間が空いたのは、「行けない理由」を数え上げてたから。
「東京まで行って2泊もするなんて無理」って思っていたのが、
当時、「つぶつぶ長野店」があったころ、
飯縄高原の宿泊施設が「サバイバルセミナー」の会場とのことで、
車で行ける(自分で運転すれば車酔いしない)
トイレに行きたくなってもサービスエリアを自由に使える(お腹が弱くて常に不安)
「飯縄高原ってどこなの?」状態で、しかもナビが無いでしょ?
でも行ったんです。
行けたんです。スズキワゴンRで。初めての高速道路の運転。
変わろうとした、変わりたい、と思ったことは確かです。
再び目の前に、「生ゆみこ」です。
お風呂も参加者みんなでゆみこさんと入って、そのフレンドリーさと自由さにはほんとにびっくりしました。
「3日持つか、体力に自信がありません」って自己紹介しました。
整腸剤も持ってました。
でも、身体はぐんぐん元気が湧いてくるのを感じたんです。
作るっていうか生まれてくるんですよ、次々と。ナニシロ美味しくってね。
だけど、やっぱり頭で否定。
市民運動をガッツリやっていた私は、
「そんなことで(料理して食べて家族が平和で)世界が平和になるだろうか」
って、身体がすごく喜んでいるのに、頭で打ち消して。
つまり、受け取れなかったんです。
で、「帰宅して最初に実践したこと」って何だと思います?
夫と子どもたちに
「今日からテレビは無しだよ!」って。
「テレビをやめる」が目的になっちゃったんですね。
そんなことをゆみこさんは仰ったんじゃないのに・・・
そうじゃないのに・・・
3日いなかった母親が帰って来たと思ったら、
どんな美味しいご飯を作ってくれるのかと思ったら、
みんなありがとね、って温かいハグがあるかと思いきや。
私と言えば、ゆみこさんみたいになるには何ができるのかな、ってまじめに考えて、
出した答えがそれですから、
家族はたまったものではありません。
そんな横暴な思い込みの激しい頭でっかちな母ちゃんでした。
それから何年も、テレビ無し生活をしていましたが、
「テレビ無し」が「目的」になっている、って気が付かないから、やっかいなんです。
長女は、おはあちゃんの台所でテレビを観るようになり(母親からなるべく離れて)、
私がお風呂だとかごはんだとかで呼びに行くと、
慌てて消すようになってしまったんです。
当時は、メールもSNSも無いので、教室やセミナーに行っても帰ってくると「離れ小島」状態でした。
いえ、そんなことは理由になりません。
3.11を機に、
「何もわかっていなかった」と思ったことはそういうことです。
これはごく一部だったと思います。
でも、良い方に変わったこともありました。
それは、私が
「外にばかり行かないで、家で、ちゃんと酒屋の仕事をしよう。それが私がやることだ」って、
そこは受け取れたんです。
それまでの私は、集まりだとか選挙だとか署名だとかイベントだとか、
お店をほっぼらかして、そういうのに出かけてばかりでした。
帰宅して、どんなに世界が大変なことになっているのか、
いかに周囲の意識が低いのか、
なぜみんな分からないのか、
なぜそれをあなたは分からないのか、
そんなことを話されるわけですから、夫もたまったもんではありません。
挙句の果てに、「自販機があるから原発が無くならない」と言う始末。
(日本中の自販機が無くなっても原発はなくなりません)
そんなことで市民の生活を責めあうなんて本当に無意味です。
夫や義母が続けて来てくれた商いがあるからこそ、自分も子どもも成り立っているのに、
自分は何も責任を取らずして所属しているところに文句を言うという・・・
(これがゆみこさんが仰った『あなた何も責任取ってないじゃない」の意味です)
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そこは悔い改めて、酒屋の仕事に邁進しました。
そして、その酒屋の中に、美味しい調味料や丁寧に作られたフェアトレード商品などを置かせてもらうようになったのです。
私の担当のその商品にはお客さんも付き、品数もどんどん増えていきました。
「自分のお店を持ってみたい」「責任もって自分でやってみたい」
「自分のお店を持つ」その夢がどんどん大きくなってきたのです。
でも、、、
「酒屋から私が抜けるのは無理だろう」
なかなか夫に言いだせずにいたんです。
そして自販機。
多い時には13台の自販機があったんですが、
気が付くと、
一台減り、また一台減り、、
妻が何も言わなくなった方が止めやすいんです。
妻から責め立てられてる時なんて、止めるわけもないんです。
自販機が必要なのかどうかは、経営者が考えて決めることです。
そんなごく普通の当たり前のことにやっと気づいたのです。
再び私の気持ちが酒屋に戻り、一緒に仕事をすることで、
良い方向に転換されてきたある日思い切って、
「お店をやってみたい」
と言ったら、
夫「面白そうじゃん」
と、
義母も「美紀さんがやりたいことができるならうれしい」
とまで言ってくれて、
私のお店を作る方向で話しがとんとん拍子に進んだのでした。
2010年のことでした。
(しかもいたや酒店には、若くてきれいな事務員さんが来てくれるというおまけつき)
http://www.itaya21.com/?Home
その中で、3.11 東日本大震災
「お店を建ててる場合じゃない。これらの資材は被災地に回すべきだよ」(まじめ)
と夫に言ったら、
「3.11が、店をやらない理由にはならないよ。こんな時代だからこそ、美紀さんがやる店が意味があるんじゃないの?」
って夫。
く~~~~泣かせるぜ
というわけで、
「集い繋がる暮らしのお店 ヒナタヤ」が2011年10月にオープンしました。
http://www.hinataya21.com/
※現在は、「つぶつぶ料理教室」で使用する食材のみの取り扱いとなっております。
そして、テレビを突然禁止された子どもたちは・・・
それが大丈夫なんですよね
心配しなくても、自分の世界を大事にできる子どもたちに育ちました。
3年間、子どもたちにがっつりつぶつぶ弁当を作れたのは良き思い出です。



<つづきます>
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