山本あゆみです。

悲しいことも
悔しいことも
楽しいことや
嬉しいことと同じようにある。

もう立てないって泣きながら
毛布にくるまり丸くなるたびに
私は一つだけいつもやってることがある。



それは女塾主催の菅 美智恵  壇珠さんに
教えてもらった方法で
自分の体の外に意識を出してみること。
 


山本あゆみさんの目から見る世界ではなくて
山本あゆみさんごと外から見てみる視点に
立ってみるという手法。


 
その視点に立とうと思っても
なかなか最初は難しかったのだけど
毛布にくるまりたくなるほど
辛い時は
まさにこれにうってつけのタイミングで
 
 

そういう
ヒリヒリしてる感覚の時にこそ
スポーンと抜けてみられるものなのだ。



 
そうすると
毛布にくるまって
涙ポロポロしてる山本あゆみさんは
なんともあわれで
自分を責める気持ちやなんか
消えてしまう。
いじらしくて愛おしいそんな存在に
感じられる。
 
 
ダメな自分だと思ってる自分を外から見てみると
ダメだと思ってたところは
胸の奥から止めどなく溢れてくる愛情で
溶けて消えていくのだ。

 
ここまでは以前からやってみてたこと。



昨日はさらに
どうしたって嫌いな人(笑。私にも嫌いな人くらいいる!)に対して
それをやってみたのです。




山本あゆみさんの目からその人を見るのではなく
山本あゆみさんの体からふわりととびだして
その人のことを私とは違う目線でみる。
例えば菌達とか、植物とか、太陽とか、神様でもいいかも。



 
そうすると、
なんていうことだろう!!!!



大嫌いなその人が
なんてあわれな…と胸が詰まる気持ち。
頑張って生きてるんやね、って涙ぐむくらいに
よしよししてあげたい気持ちが
込み上がってきたのです。




私の目線から見ると
やなやつだなー、って思うんだけど 笑
視座を上げていくと
どんな命も
どんな存在も
愛おしい存在以外の何者でもない…




大好きも大嫌いも
私というフィルターを通して
好きに見てるだけで
本質的には
好きな人も嫌いな人も
みんなみんなあわれで愛おしい存在なのだ。



どの命の現れも「愛」でしかない。



そう思い至った時に涙がポロポロと溢れました。



だから安心して
嫌いでいていいし
好きでいていいし
悲しんでいいし
悔しがっていいし
絶望したっていいし
希望をかんじてもいい。



結局はどうせ「愛」なんだから。




これってすごく私を安心させる。



こんな風に思ったらいけない
こんな風に感じるなんて私はなんて酷いんだ、
などと自分を責めたり
卑下することなどしなくていいのだから。


この美しいお花も
泣いたり笑ったり忙しいわたしも
嫌いなあの人も


みんなみんな愛でしかない。



この気づきが起こった後
ほんとに不思議なことが起こっていった話は
また今度ね^^


読んでくれてありがとう。らぶ。