今日は久しぶりに

ジョリべ先生とあいましたが

先生が礼拝されにニコライ堂に

行かれるというので

待ち合わせをニコライ堂にしました。



写真はwikipediaから借りました。


私は函館育ちで

函館山の麓に住んでいましたから

函館のハリスト正教会は遊び場のような場所で

鐘の音を聞いて育ちました。


ハリストス正教会は造りが同じなのか

入ってみると同じ感じでした。

とても美しく儀式の歌がしみこみました。


1人の神父さまが

『初めてですか?』と声をかけてくださった。

待ち合わせだと伝えて

函館育ちでいつも庭で遊んでいました。

と、お知らせすると

自分の弟が鐘を鳴らしてます。と

嬉しそうにお話くださいました。


祈りの現場は美しい気が流れます。

毎日曜日

祈りに行く真摯な方達は

清らかなオーラでした。


祈りと死者との関係をジョリべ先生と

話していたのですが

先生が電車のなかで本を読んでいたら

ふと、しばらく前に亡くなられた

友人からのメッセージが

頭に降りて来て、それは

『私のために祈って』というのだそう。


毎週ミサに来て祈っていて

数年前に亡くなられた先生のお父様も

ある日、メッセージを伝えて来たとのこと

『お前が祈ってくれたらから、パパは一段

高い場所に上がれたよ』

との報告だったそう。


先生と一緒にイタコさんに取材のために

八戸に行き

先生がお母様をおろすために、

イタコさんに頼んだら

『貴女にはなにもしてあげられなくて

合わせる顔がない』

と、なかなかイタコさんに降りてこなかった

お母様。

私は視えるから、お母様を促して

やっと降りて来たことがありました。

『申し訳ない』という気持ちが

何度も亡きお母様から出て来ました。

そんなブロックがなかなか上の階段には

いけなかったりするのだなと

しみじみしました。


亡くなってからでしか

人はわからないものなんだなと

寂しくなりますが

亡くなってから通じるのは

『祈り』『想い』だけなんだなと

感じます。


亡くなられた方々は

信仰心がなければ

どこに向かえば良いかわからなくなります。

事前に、天国があり

そこに向かうんだな。とだけでも

理解してもらいたいなと思います。


気持ちでしっかり祈ることが

大事なのかなと思います。

久しぶりに真摯な祈りを感じて

幸せな気持ちになりました。


祈るは通じる

間違いなく。。。











マリア