昨日は夏至でした。

ふと思い出す,神戸の海。。。
私が住んでいた東灘区あたりでは
気が高いなと感じますが
澄んでいるのは本住吉神社があり
そのせい?と思いましたが
六甲山となだらかなる山裾は
イヤシロチの形状だから
それを感じるのかな。

本住吉神社と住吉大社は
どちらが本家本元かみたいな話が
あるので調べていた。
どちらの地区も、うちが初代!みたいな
論争がある。笑

住吉あたりは昔、神功皇后が
船で航行中立ち寄っていたあたりで
兎がたくさん野山を走り
兎原と呼んでいたそうです。

近くに処女塚古墳←おとめづかこふん
があり、その伝承を調べていたら
茅渟の壮士が《ちぬのそうし》と
兎原の壮士が二人
美しい乙女の噂を聞きつけ
求婚したが乙女は1人を選べずに
海に去ったと。
彼女はこの古墳に祀られてますが
その乙女の話が
処女塚古墳に良い伝えられています。
しかし、近くには皇子塚という古墳もあり、
彼女を喪ったその壮士が入水したと言われており
昔の方々の思いの深さに圧倒される。


主人の実家は山の上で、
海が見えたりしますが
近くに
『ちぬのうみ幼稚園』があり、
私が、ん?なんだって?と思い調べたら
茅渟の海《ちぬのうみ》って呼ぶらしいと
わかりました。
このあたり一帯の海を総称してるのかなと
思ったら
大阪の住吉から和歌山にかけての
沿岸をさすそうで、
この灘の辺りは 
難波灘と呼ばれていて、灘目と
言われていたそう。
つい難波がつくと大阪と思いがちで
誤解するだろうなと思いますが
昔は縄文海進で地形が今とは違いますから
今の地図では読みきれないと思います。
大阪駅は海の中だったくらいですから。





茅渟の壮士は大阪の住之江から
和歌山あたりの男性で
船を漕いでは、求婚に来たんでしょうね。
みんな熱いね!その熱さが
恋愛にむけられるから
若いって凄いわ。
恋愛は出来るうちに沢山なさいませ。
出来なくなる時も参りますからね。笑

さて、
茅渟の海のちぬって語源は?
なぜ、そんな名がついたのかと調べたら

神武軍が長髄彦と戦った時に
五瀬命が矢に撃たれ
その血を洗ったということで
血沼→ちぬが茅渟になったらしく
五瀬命が痛がって雄叫びをあげたから
雄水門→おのみなとという地名として
残ってるということ。

だいぶ前
2005年ころ
和歌山の神社参りに行くときに寄りましたが
お参りしながら 虚しい悲しい想いを感じますが
じっくり調べてから行ってみると
また感慨も深いものがあるだろうなあ

人は普遍的なもので
恋愛も変わらずにいまも
人の想いは変わらない。

思いを大切にする、しないって
どういう事だろう?と
最近考えています。

生きるとは自問自答の世界ですね。
結局自分らしく生きるしかないと、
なにがあっても思います。








マリア