● 3.11 私はあの日を忘れません つきみ野 下鶴間 ピアノ教室
こんにちは、大西望です。
東日本大震災から7年が経ちました。
誰もが予想もしなかった
未曽有の大災害の爪痕は今も続き
被災地の方々の苦しみを思うといたたまれません。
皆さまはあの日を
どのようにお過ごしでしたでしょうか?
私は女子高の専任教諭として勤務しながら
附属小学校の音楽の授業も担当させていただいていて
小学校6年生へのお別れ音楽会が終わり
音楽準備室で片付けをしているところでした。
あまりの揺れの強さに楽器が落ちて来るのではないかと身の危険を感じ
思わず音楽準備室を飛び出してグラウンドに出たのですが
恐ろしい地鳴りの音と共に
遠くに見えたビルの上にある避雷針がこんにゃくのようにプルプルと震えている様子を見て
『これは大変なことになってしまった』と
呆然としてしまったのを覚えています。
幸い停電などには見舞われませんでしたが
ニュースではリアルタイムで災害の様子が伝えられ
強い余震がひっきりなしに続き
電車で帰宅することは困難と判断し
その日は学校で一部の生徒さんと共に
一夜を過ごしました。
(実はその時私は妊娠3ヶ月でした。)
さらに次の日は
担任をしていた高校3年生の2名の生徒さんが
同じ敷地内にある音楽大学の入試を控えており
実技試験でピアノを弾かなければならなかったので
朝、試験会場まで出向き、握手をして送り届けました。
彼女たちは入試に備えて前日も学校に残り
練習をしていた時に災害に見舞われてしまったため
遠方に住んでいる帰宅困難な生徒さんを
割と近くに住んでいたもう一人の生徒さんのお宅に泊まらせてもらうようにお願いし
不安な気持ちで一夜を過ごしたのでした。
この災害の数日後には高校の卒業式があり
私は高校3年生の担任として袴を着て列席する予定でしたが
苦しんでいる方々のことを思うと
華々しい袴に袖を通す気持ちにはなれず
急遽、スーツに着替えました。
しかし今思うと、彼女たちにとっての高校卒業式は一回限りのことですので
袴を着て送り出してあげた方が良かったのかなと、今も思うときがあります。
この災害を通して痛感したこと、それは
当たり前の日常と思っていることは
全然当たり前ではなくて
奇跡の積み重ねの連続である
ということです。
そして
限りある命を大切にし
やり残したことがないように
自分の心の声に従って正直に過ごし
亡くなられてしまわれた方々の分も
毎日を精一杯生きること。
そういうことを改めて考える日として
これからもこの災害のことを忘れずに過ごしていきたいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
