★ 我々が育ったころの昭和19年から25年とい
う時代は戦争に敗れ貧しく教育どころでは無かっ
た。子供たちは上の子のおさがりを着ているから
袖から手が出ないし、青っ洟を垂らして汚らしか
った。
食べるものも貧しかったし、学校の先生もひど
かった。
私の記憶にはっきり残っているのは、1年の担
任の女性の先生だが、家で特別授業をしてくれる
という事で男女1人ずつ選ばれた。金持ちの坊ち
ゃんと私の2人が選ばれ連れていかれた部屋には
外国人がいた。爪は真っ赤なマネキュアをし、朱
色のセーターの胸に当時最新のブラジャーが三角
に盛り上がり、ド派手な先生だった。帰りに請求
書を持たされて母に見せたら当時のお金で500
0円程、母はビックリして即やめさせられた。
「そういう人をパンパンというのよ」と聞かさ
れた。
2年生の先生は男の先生で、自分が定時制の大
学に通っていたため自習が多く、又相当な東北訛
りで、授業参観日に矢張り母があれほど訛った本
の読み方をして居たら東北人と間違えられるか
ら、辞めろと言われた。しかもその先生は就職が
来まって各生徒の家を訪問し、保険の勧誘をして
ついにお金が戻って来なかったそうだ。つまり詐
欺師だったのだ。
戦後のどさくさで教師も碌な人が居なかったの
だ。
主人は当時一家そろって樺太で暮らしていて、
食べ物泥棒ばかりしていて、肝心の助詞を習って
いないそうで、答弁書の作成時など「・・・はと
いうのは、はか?わか❓」と私に聞いてくる始末
で 、 私が全て教えた。
いつもお腹が空いて勉強どころでは無かった
し、栄養失調でアメリカ人から肝油を貰って飲ん
でいた記憶が有る。
梅毒で顔の半分から血膿の垂れている男の子の
隣に並ばされた。私はただれていない頬?の隣に座
らせてもらう条件で並んで座った。
又母親がいつも男性を家に引き入れていて、そ
の間は部屋に入れないという子も居た。シラミが
湧いて頭からDDTという白い粉を散布されてい
た子もいた。
その子たちがどのように育ったか???
自殺した子もいたけれど、大体はまともに強く
育っていた。
親は自分の事で精いっぱいで有ったので子供た
ちはほっぽらかされて育ったか、家業の手伝いを
させられていた様に思う。だから気働きも出来る
し、人の機微が良く解るのだと思う。
すべて環境のせいにすることは出来ない。
人生はポーカーゲームと同じだと思う。配られ
た札は良くても悪くても、そこからが人世を変え
られるか否かの勝負時である。知識は知恵が無け
れば生きてこないと思う。勉強ばかりして出世し
た人たちがつまらないのは、遊びから学んだ知恵
が不足しているからだとしみじみ思う。
能動的にむさぼるように知識を学び、言われた
事だけではなく、何時かきっと役に立つであろう
事を働きながら率先して学んでいったように思
う。だから気働きが出来るのだと思う。
相手を思いやれるのだと思う。
人としてどちらが良いのだろうか????
★ 昨晩は「T シャツが乾くまで」をティーバーで
一気に視聴した。人の機微が見事に描かれていて
面白かった。人が一緒に暮らすという事はデリケ
ートで、いくら親しくてもゆるみというか知られ
たくない部分をそっとして見守ってやる大人とし
ての感性が求められるのだと思う。
人間は厄介な動物だなと思う???
★ 今日はこれから家の片付け、スマホにある講演
録を聞きながら、整理・清掃をしましょう。
16:00から古都でスローの団体レッスンと
Qの個人レッスンを1時間ずつしてきます。
体も鍛え直しである。「健全な肉体に健全な精
神が宿る」と昔から言われるではないか???