ひふみの食べ方しなされ
※大日月地神示後巻44より
ひふみの食べ方しなされ。感謝して味わいながら薬と変えなされ。
ひふみの食べ方しなされと大日月地神示には2回でてきます。ひふみの食べ方とは何ぞやと気になってきましたので調べてみました🥰
以下抜粋引用
『日月神示』より 「ヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ」
『日月神示』という預言書があります。もう毎日、読んでいます。
昭和19年6月のある日、麻多賀神社を訪ね、天之日津久神社に参拝した岡本天明が、参拝後、誰もいない社務所で休んでいたところ、突然、自分の右腕が痛くなった。画家であった天明は、たまらずいつも持ち歩いていた矢立を取り、画仙紙に当てたところ、痛みが嘘のように消えただけではなく、スラスラと文字のようなものを書かされた──。
神から降ろされたこの「自動書記」は、以来、約16年間にわたって断続的に続けられ、後に「日月神示」「ひふみ神示」などと呼ばれる天啓の書となります。
どの神示も大変興味深いのですが、個人的には、この中に何度も登場する食べものについての記述を興味深く読みました。
私たちのからだは、食べ物のエネルギーによって維持されています。そして、「食」という字は、人に良い、と書きます。つまり、「食事」というのは、人に良いということが基本であるということなのだと思います。
以下に、その一部ですが、『完訳 日月神示』(岡本天明・書 中矢伸一・校訂 ヒカルランド)の中から、引用してみます。
「一二三(ヒフミ)の食べ物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑(の)むのざぞ、これは一二三の食べ方、頂き方ざぞ。
神に供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによって治るのざぞ、心も身も分け隔(へだ)て無いのであるが、わかるように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ」
*神と書いた部分は、変換できないので、神と記しました。
「食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火(カ)ざぞ。下の歯は水(ミ)ざぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ。肉となるぞ」
「四ツ足を食ってはならん、共喰いとなるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ」
「日本には五穀の、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ」
「ひふみの食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉(うれ)し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ」
「一椀(ひとわん)とってまず神に供えよ。親に捧げよ。子に捧げよ。腹八分の二分は捧げよ。食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神に捧げずにむさぶるからメグリ積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物慎(つつし)めばよい。言(こと)慎めばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。このわかりきったこと、何故にわからんのぢゃ。
捧げるからこと頂けるのぢゃ。頂けたら捧げると今の人民申しているが、それが裏腹(うらはら)と申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのではないぞ。預けられているのであるぞ。人民に与えられているものは食物だけぢゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵みだけぢゃぞ。その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ」
「一二三唱えながら」というのは、一二三祝詞を唱えながら食べ物を噛むということ。その一二三祝詞は、日本語の四十七音(濁音、半濁音を除く)を祝詞にしたものなので、47回噛むことになります。
「ひふみ、 よいむなや、 こともちろらね、 しきる、 ゆゐつわぬ、 そをたはくめか、 うおえ、 にさりへて、 のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ」
(『完訳 日月神示』の「水の巻」第二帖より)
「ヒフミの食べ方して見なされよ」
二分は捧げ、ヒフミ祝詞を唱えながらよく噛み、嬉し嬉しでいただく。
神さまからのこのメッセージを、地道に実践してみようと思っています。
http://blog.livedoor.jp/kyoto_cafe/archives/52286788.html
神民、人民の食べのも
五穀 米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆
海のもの 海藻
野のもの 野菜 山菜
山のもの 木の実 くだもの
遠くて近いもの
遠いもの 五穀、海藻、野菜、木の実、果物
近いもの 地元で採れたもの
ひふみの食べ方を知ってから
毎日実践しております
カウンターに乗せたおぼんに食事を並べ
東北を向き
一拍手して手を合わせ
「いただきます」
と感謝をコトダマにかえ
食事を神にささげたのち
テーブルに運んで
再び手を合わせ
「尊いおめぐみによりこのご馳走を恵まれました。こ深くご恩を喜び感謝していただきます」🙏
と言ったあと霊人さま方と一緒にいただくつもりでいただいております
一口たべるごとに
ひふみ祝詞を目でよみながら噛んでおりますと
今まで噛むことをあまり意識しておらず、噛むことの大切さを聞いてはおりましたが実践できていなかったことに気づきました
ひふみの食べ方は
しっかり噛むことで消化吸収がよくなり栄養がカラダに行き渡り、
ひふみ祝詞を心で読むことでひふみ祝詞のチカラも一緒にいただくことができます
とある日のお昼ご飯
飽きもせず
毎日ほぼ同じメニューですが😂
簡単で美味しいからやめられません
日月神示もいずれは読まなくては…
毎朝早起きして
ブログを書いて
zoomに参加して
プランターの水やりをして
体操したあと瞑想、
畑に水やりに通い、汗を流し
帰りに買い物
帰宅して
シャワー、洗濯、自炊、常備菜作り、昼と夕にひふみの食べ方をしながらゆっくりご飯を食べる、
ほぼそれだけで
あっという間に一日が終わってゆきます
この幸せな日常が
ずーっと続いてほしいと願うばかりですが
いつ心境の変化や状況の変化がやってくるかもわかりません
穏やかな日常に感謝しつつ
毎日の時間を大切に過ごしたいと思います🥰
読みたいなぁ
ミロさんの朝いちzoomより
ミロクゴロク
愛生語録
2025.2.14
我々は周波数が合えば見たいものを見れちゃう。映像化しちゃうんです。
つまり、周波数を合わせる技術のある人は霊的なものを見ようと思ったら見えるし、聞こうと思ったら聞ける。周波数さえ合わせれば、それがビジュアルになる。
しかしビジュアルで見ちゃったものは「見させられた」可能性が非常に高いんです。また。見たいと思ってると「見えたり」もする。見させたい霊人と。見たい人間の周波数が合っちゃうと「キタ!見せちゃえ」と。人間側に見えてしまうことが多々あるんです。
大日月地神示 前巻「か」P46
龍神とは、この御神様のことでもありますのじゃ。人民が申す龍ではないのじゃぞ。恐ろしいお姿とは違いますのじゃぞ。喜びの顕れ、気の流れ、水の流れのお姿でもあるのじゃ。海から空へ、空から地へ、地から海へと生命を育んで下さるお姿のこと申すのじゃぞ。人民、魔物に遭われて、恐ろしい姿拝んでおるが、取り違えいたしておりて申し訳あるまいぞ。無きもの生み出して下さるなよ。このこと分かりておらんと、どこまでも無き魔生み出して、因縁生むこととなるのじゃから、臣民人民みな良きよう気つけ下されよ。
初回投稿日
2024.7.25







