6年間ほど
マイナスコードカットをやっていました。
何百件とやってきた。
でも、どんどん右肩下がりで。
面白い、これってすごい、
めちゃくちゃ楽しい!とやるほどに思う反面、
どんどん減っていく申し込みに
悲しくもなった。
それが”なぜ”なのかがわからなかった。
どうして広まらないんだろう?
どうして伝わらないんだろう?
そればっかり考えてきた。
自分ビジネス講座を受講したことをきっかけに、
マイナスコードカット、という言葉の陰に隠れたままで
広めよう、伝えようとしてきたことに気づいて。
気づいたときは本当に衝撃的で
ショックと驚きで、プチパニックだった。
オリジナルだなんていったら
教わった先生に怒られそうだと思ってた。
(交流はもうなかったのにね)
申し込みが減っていることも重なって
そんな状態で
私がやっていることを、私自身を
前面に出すなんて
怖くて怖くて仕方なかった。
だけど、一歩進んでみよう、って思った。
せっかく決死の覚悟で自分ビジネス講座を受講して
自分の気持ち一つで進むか進まないかを選べることがわかったのに
進まないまま腐ってたら無意味だとおもって。
すごく怖い、不安、という気持ちと
一歩前に出る期待感とが入り混じって
ぐちゃぐちゃのまま
マイナスコードカットっていう名前の陰から
出て行くことに決めた。
あとで気づいたことだけど、
教わったから、と
その名前だけを使っていたのは
敬意でも何でもなくって
単純に隠れ蓑として使っていただけだった。
そこから、
私が本当にやりたい部分だけに集中して
自分が見えているもの、感じるものを
最大限に受け入れて
私だけの基準で、私だけのルールで
私がやりたいものに変えよう、と思ったとき
自分だけのものにしたくなった。
自分を前面に出すとかそういうものではなく
私の、私だけの、私にしか出来ないものにしたいと思った。
広まらなかったなぜ、伝えきれなかったなぜ、は
ここにあったんだと思ったの。
自分がそこにいないから
力も、エネルギーも、愛情も、注いでいるのに注ぎきれない。
あと一歩、が進めない。
そこから
自分がやってきたその手法すべてを
もう一度見直してみた。
私は何が楽しくて
何に魅力を感じて
何が大事だからこれをやり続けてきたんだろう。
理由の一つは、できるから、できたから。
もう一つは、面白いから、わかると楽だから。
でも、もっともっと大きな理由があった。
私が大事にしているのは、
私がこだわって、執着して
かじりついているものは、
マイナスやネガティブと分類される
自分に暗い影を落としていると思い込んでしまいやすいものたち。
隠してしまっていたものたち。
隠そうと蓋をし続けていたものたち。
私がずっと、その中に隠れていた。
隠したものの中に自分を入れて
自分そのものを隠し続けていた。
マイナスコードカットを通じて
自分を見ることをもう一度覚悟をしたときに
そこに隠していた自分に出会った。
自分でよかったのか、って
もう一度生まれなおしたみたいに涙が出た。
うれしかった。
ああ、自分で生きてて良かったんだって
誰かからの言葉じゃなくて
自分の中から湧き上がる喜びによって感じること。
言葉に出来ない
自分だけの喜び。
そんな震えるような衝動の喜びが
私を少しずつ満たしていくほど
いっぱい迷っても、私に戻ってこれるようになった。
誰かのまねっこして隠れたくなっても
何か有名なものの陰に隠れたくなっても
でも、それも含めて
私だ~って言いながら
前に出て行く決意をして動き出せた。
私を突き動かした
その喜びが基準点。
私を突き動かした喜びを覆い隠していた
マイナスとネガティブと、
隠しておきたかった
怒り、恨み、つらみ、すね、悲しみ・・・etc
それらが、私の出発点。
開花 に込めた思いそのままだってことに。
マイナスやネガティブみたいな
見たくないもの、
隠しておきたいもの
忘れた振りしておきたいものも
自分の中の、自分には変わりない。
自分のまんまで、生きていく力になる。
どんな汚いものも
どれくらい長く放置して腐った何かも
自分で自分の力にしていける。


