昔から、対処能力が高かった。
問題解決能力、というやつだ。
どんな問題が起きても
結果的には解決出来た。
冷静に状況を踏まえて、
解決したいことは何なのか?を明確にして、
そこに至る道筋を真剣に探し、
後はその道を進むだけ。
信念を持って。
するとたいていのことは解決出来る。
時に人には驚かれたが
私には特別なことではなかった。
そこに問題があるから解決するだけ。
子供の頃から
何十年もそうして来た。
問題が起こらないときも
脳内シミュレーションはいつも完璧だ。
もしこうなったら、こうして、
更にはああなたら、こうして、
最悪そうなっても、こうすれば大丈夫。
安心した。
そう、この問題解決能力の源は
強烈な不安感。
何故だがわからない。
でも不安。
そうだ。
子供の頃の私は、いつも不安だった。
その不安を拭い去らずには、生きていられなかったのだと思う。
そして、問題解決能力はピカピカに磨き上げられて行った。
大人になった頃には、
その能力は自然な自分の能力として、
私の人生を助けてくれた。
会社員時代、仕事は良く出来た。
だって会社員の仕事は、
いつだって与えられた課題を解決することだから。
時には、
火を吹いた(納期遅れで顧客が怒り出した)プロジェクトの仕切り直し専門のマネージャーに任命されたこともあった。
怒り狂って責任を問うてくる顧客の前に出て、これまで自分が全く関わっていなかったプロジェクトの新しい責任者として、誠心誠意謝罪し、解決策を提示する。
そして強烈な不信感を抱く顧客との信頼関係を再構築するばかりか、最終的には追加予算をもらって来いと会社からは命じられる。
楽しいか?と問われれば
もちろん楽しい訳がない。
けれどそんな仕事も結構得意だった。(からやらされたのだろう・笑)
仕事以外でも
人生に起こる大概の問題は
そうやって解決することが出来た。
だから私は、あまり困っている状態が継続しない。
それでいいと思っていた。
でもある時、
やめようと思った。
何だか急に、
もう飽きた、と思った。
何に?
そうやって、解決し続けることに。
コントロールし続けることに。
もちろん、
降り掛かった火の粉にヤケドしそうになたら振り払うけれど、
降り掛かったのが雨なら、
ちょっと濡れてみてもいいんじゃないか?
春雨じゃ、濡れてゆこう。
みたいな感じもいいかな?と思った。
意外と楽しいかもしれないし、
楽しくなくてもそれもまたいいんじゃないか?
そんな風に、
ある日突然、気分が変わった。
それから数年。
それでも、
人生に大して問題は起こらない。
いや、正確に言えば、
問題を認識しなくなったのかもしれない。
問題とはいつも、
問題だと視るから問題なのだ。
去年自宅前に区庁舎が移転してきた。
50階近い超高層ビルで、10階建ての我がマンションは一気に日陰になることになった。
しかも非常用発電装置の排気口がこちらを向いて作られ、一時我がマンションの住人は騒然となった。
「一致団結して区に交渉しよう!」
という気運が高まり、
理事長だった夫を中心に話し合いを重ね、改善を要求した。
しかし願いは届かなかった。
「闘うことも辞さない。移転反対抗議をしよう。」
という意見も出たが、
闘わない、というのが我がマンションの住人の総意となった。
以前の私ならそんなとき、
ありとあらゆる手を尽くして解決したがったはずだ。
でもこの時は、
それでいい、と思った。
闘わなくていい。
なるようになる。
やがて区庁舎は我が家の真ん前にやって来た。
完全に日陰になるかと思いきや
午前中はちゃんと日が差し込んだ。
不特定多数の来庁者による混乱を懸念したが、ちゃんと警備員が配置されて何事も起こらなかった。
排気の問題も起こらなかった。
そしてある事実が判明した。
区庁舎の移転により、
周辺地価が上がり、我がマンションの評価額は17年前の購入価格を上回っていた。
起こるすべては最善に。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
すべての問題に対処しなくていい。