8年前のあの時 | いざなみLOVEレボリューション!闇を愛する生き方は、光の道

いざなみLOVEレボリューション!闇を愛する生き方は、光の道

いざなきいざなみプロジェクト!みんな神様!男女の和合、陰陽統合から世界平和へ❤︎日常を発光させる!LOVEパワーは、無限大だよ!

 
 
311
 
今日は、いつも通りの個人セッションでした
 
いつものように過ごしました
 
私にとって
この日は、特別だからこそ
 
いつものように大事に過ごしました。
 
皆さんは
 
あの日あの時
 
どのように過ごしていましたか?
 
 
私は、
 
8年前
宮古島に暮らして7年目くらい?
 
私にとって島生活は
自分の課題をひたすらに
見せつけられるばかりで

実は、とてもとても苦しくて
 
あの時も
 
 
また聞きたくない話を聞くことになり
元気なく、おうちに
帰ってきたところでした

もらったテレビは、
滅多に見ることがなかったのだけれど
 
私は、あの時
あの瞬間!
 
なぜなのか
 
不思議と
 
テレビをつけた!!!!!
 
それは
まさに地震直後だったようで
 
お台場のフジテレビから
煙が上がっている映像は

異常な雰囲気を
すぐに感じた
 
ん??
 
んん??
 
 
滅多にみないテレビに近づいて
 
しばらく
コトの状況が理解できなかったが
 
大地震??

え?
どこで?

東京??
 
すぐに
東京の実家に電話を入れるが

携帯は
すでに不通
 
妹も
父も母もおばあちゃんも
東京の友人も・・・
 
誰にも繋がらなかった
 
 
震源地でもある
 
東北の映像もリアルタイムで写っていた
 

津波前で
 
普通に海岸付近の映像は
大して
逃げようとしていない人たちが
うつり
 
しばらく
テレビに食い入るように
みていると
 
場面は、
 
変わって
 
 
ヘリコプターからの映像で
 
広い広い田園なのか畑なのか?
 
津波が押し寄せていく
映像だった
 
 
津波は、広大な範囲で
土地を飲み込んで行き
家をなぎ倒し
 
その光景に
 
アナウンサーや専門家が
 
声を震わせながら
 
前代未聞の状況であることを伝えていた
 
 
衝撃的な状況に

 
涙が溢れて

しばらく放心状態のあと
 
嗚咽した
 
全てが
リアルタイムだった
 
 
私がいた南の島は、
 
3月の温かな気候で
とてもとても穏やかすぎて
 
もちろん自然界の猛威の激しい島だけど
なんだか
この時は、異常なほどに
穏やかで
 
そのギャップが
 
あまりにも
あまりにも
苦しかった
 
ひとりぼっち
 
取り残された気分で
 
自分の無力さや
 
その時の自分の生活での
孤独感やら不安や恐怖の
 
全てが
とてつもなく押し寄せて
 
泣き尽くした
 
とんでもないことが起こったことを
理解しながら
 
家族の
安否や東北の友人と連絡が取れるまでには
 
だいぶ時間があったので
 
完全に取り残された
気分だった
 
 
2010年に訪れたシャスタの仲間たちから
福島原発への祈り合わせや
声がけが始まった
 
当時は、
どうやって祈っていいのかもわからず
みんなの声かけを
ただただ見守っていただけだった
 
 
 
 
 
その頃

わたしは
 
職業訓練校の
パソコン教室に通っていて
 
 
翌日の学校は
 
お休みになり・・・・
 
 
サーファーだった私は、
 
海には行くが
 
波乗りする気にならず
海を眺めていた
 
SN3S08520002.jpg
 
 
それから
 
毎日呼吸することが
苦しくなって行った
 

なすすべがないけれど
 
不足しているという
電池や水を
買って送ろうかと思っても

配送が難しいということで
 
何も
何も
 
できない状況が
 
とてつもなく
 
私の呼吸を浅くさせていき
 
知り合いの
畑の手伝いを
させてもらうことが
唯一の救いだった
 
とにかく
 
土に触っていないと
 
生きれないくらい

だった
 
ただたた
土にまみれて
這いつくばって
無心に作業をすること

大地を
感じることで
本当に救われた
 
やっと
呼吸をすることができた

自然界は
いつもいつも
わたしに語りかけていた

でも、当時は
まだ受け取れることが少なかった
私は

必死で
生きることしかできなかった


あれから

あらゆることが
変わり始めていった


 
私の周りは、
 
311から関東を離れて逃げてきた
ミュージシャンやアーティスト
て賑やかになっていった
 
その頃から
宮古島で関わる
人間関係が
ごろっと変わって行ったのだった


放射能について
報道はされない情報がたくさん
仲間を通じて入ってくるから
 
 なぜ
みんな逃げないのか?
 
とてもとても疑問で


東京の家族や親戚や友人に
 
早く東京を出て欲しい
こっちに逃げてきて欲しいと
懇願し
訴えたが

「なみは
恐怖を植え付ける」

拒否された


結局

自分の中の
恐怖を癒していくことが
この世界を救うのだ

わかりはじめる


周囲を海で囲まれて山がない宮古島でも

あれから
津波を恐れる人もいるけど
わたしは逆に
島の南の端の海のそばへ

引っ越しして
 
新しい生活をはじめた

なにもかもを
変えていく

予定していた
宮古島リトリートのガイドは
祈りのツアーになり

福島からの友人も参加した

250年前に宮古島や石垣島を襲った
大津波の名残がある聖地をめぐり
祈った

自分と繋がる
そんな時間をつくるようになった

ただ
まだ
 
島を出ることになるとは、
 
その時は、
まだわからなかったけど


目まぐるしく
そこからは加速していった

わたしは

変わりつづけた

2013年に宮古島をでるまで

  
*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*

 
私にとって8年前は、
一番心が
苦しい体験をしたときだった

 
今また、その感覚を
思い出し
 
そして
その自分を
 
イメージの中で
寄り添って
抱きしめてあげたよ
 
どんなに昔の過去でも
 
私の中に生き続けている以上
 
私のもので
 
今の私が
 
過去の自分を癒すことができる
 
いつからでも遅くはない
 
私たちの意識は、
 
時空次元を超える
 
自分をたくさん愛してあげると
 
この世界から
愛されていたことを
思い出す
 


それは、実は
誰かを癒すことよりも
 
誰かを癒すことになるんだ!!

 
そもそも人間は、スピリット
霊的な存在でもある
意識は、
自由に時空次元を超えるのだから
 
 
その意識の力を使うことで
 
誰もがヒーラーであることを思い出す
 
ね、
 
愛してるよ



8年前のあの時から
進化し続けるしかなかった私の
こころ持ちや感情
ものごとの捉え方や視点は、激変した💕

この世界を変えるのは
自分しかいないから💕

 
 
どんな自分をも癒し
愛してあげる
 
自分の
感情を少しずつでも
許して癒していこう

どんな感情もあっていいんだゆら
それは
どんな存在も、許されて愛されてる
ってこと❣️


 
自分の愛の純度を高めて行くから💕

どんな自分も愛してみよう
 
 
自然界は、感情を司る



怒りの感情エネルギーについては
こちらに、まとめたよ