歳時記 6月29日
夏至/菖蒲華(げし/あやめはなさく) 太陽の熱とエネルギーに満ちた夏至、梅雨の季節、菖蒲(アヤメ)や紫陽花(アジサイ)などの青や紫の花が咲き誇り、梅雨の雨に濡れてその熱を冷ますのか、それぞれ鮮やかさを増して美しい。
歳時記余話
国家の死の実験場
(中江藤樹 第7回、 江藤淳・内村鑑三・小林秀雄・渡部昇一の視点)
◆ 個人の崩壊の背後には、国家の崩壊がある
前回、私たちは「親の崩壊は個人の悪というより、歴史の病である」という地点に到達した。しかし、私たちはここで止まってはならない。親を壊し、家族をバラバラに壊した「歴史の病」とは何か。その病の真の原因(病原体)は何であるか。その正体を見抜かなければならない。
答えは一つしかない。―――この病の真の病原体は、日本の「国家の死」である。
江藤淳は、この誰もが目を背けた、恐るべき真実を、わずか一行で射抜いた。 曰く、「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。 戦後日本で起きた日本人の精神的崩壊、親の狂気、家族の自壊、縦の線の断絶、国家の喪失、文明の破局。 これら日本の戦後空間で起きたのは、紛れもなく“静かなる国家の死”であった。
◆ 戦後日本列島は「国家の精神解体実験」の舞台だった
前回、私は戦後日本を「モルモット・ケージ」と呼んだ。 だが、実は、そのモルモット・ケージの檻というのは、もっと巨大な権力構造の一部にすぎない。 結論を言おう。戦後の日本列島は、その全体が「日本の国家の精神を完全に解体するための、そして根絶やしにするための巨大な実験場」として、精緻に設計された空間なのである。
前回書いたとおり、GHQは日本民族を「敗戦国の実験対象」とみなし、その強靭であった精神構造を破壊して根本から作り替えるために、世界史上例のない規模の「精神改造プログラム」を実施した。 その根幹であるWar Guilt Information Program(WGIP)の本質は、単に日本人に自虐史観を刷り込むだけの情報操作ではない。それは日本民族の精神そのものを永久に去勢する、「精神の植民地化」計画である。
WGIPの真の目的は、日本民族が4万年の時をかけて宇宙とともに築いてきた「縦の文明」を、完全に断ち切ることにあった。すなわち日本民族を宇宙から切り離して完全に無力化することである。それは日本民族が二度と立ち上がれない隷属の民となり、日本国家が永久に彼らの植民地として彼らに隷属するということである。
そのために、彼らは緻密な実験項目を並べ、強力に、冷酷に実行していった。
- 祖先との連続を断つ(過去の否定)
- 家族の縦軸を断つ(家制度の解体)
- 国家の歴史を断つ(真の神話の隠蔽)
- 性倫理を断つ(純潔の解体と快楽への誘導)
- 教育の根を断つ(修身の廃止と個人主義の強制)
- 男性性・女性性の役割を断つ(自立という名の孤立)
- 共同体の記憶を断つ(祭りと伝統の形骸化)
これらも、決して、時代の流れという名の偶然ではない。 すべては「国家の精神を窒息死させるための精緻な実験項目」である。
団塊世代は、この実験場で生まれ、最初の濃厚な実験液を注入されて育てられた「最初のモルモット」であった。 彼らの「親としての崩壊」は、“一つの症状”である。 日本の「国家の死」という巨大な病原体が国家の最小の構成単位である家庭に噴出したのだ。 彼らは国家の死の最初にして最大の犠牲者である。
◆ 4万年の文明が断絶し、国家が死んだ
言語空間が閉ざされたとき、国家は死んだ。静かに棺桶に入れられた。 江藤淳が『閉ざされた言語空間』と呼んだ日本の戦後空間の本質は、「国家はすでに死んでいる」という事実を徹底的に隠蔽し、日本人に「選べる自由」という極彩色の幻影(マトリックス)を与えて、その内面をじわじわと解体していく実験場であった。江藤がその生命を賭して、最後は自らの命を絶ってまで告発しようとしたのは、この戦後の検閲体制と、それに隷属した日本人の「自己欺瞞」(閉ざされた言語空間)」であった。
渡部昇一は、この戦後日本の破局を「文明の断絶」と呼んだ。これは単なる比喩ではない。
- 祖先との断絶
- 家族の断絶
- 教育の断絶
- 歴史の断絶
- 道徳の断絶
これらはすべて、「国家の背骨(精神)」が叩き折られて死んだときに、連動して起こる必然的な総崩れ現象である。 渡部の言う「文明の断絶」とは、すなわち江藤淳の言う「国家の死」の、もう一つの血を吐くような表現である。
◆ 言われたとおりにしていれば行きつく先は自殺である ~国家体系の総崩れ(小林秀雄の視点)
小林秀雄は、かつて近代日本人が見失った真理を喝破した。「真の秩序は、選べないものの中にしか宿らない」と言ったのである。 国家の本質は、個人の損得や都合で選ぶことのできないものの巨大な集合体(体系)である。
- いかなる祖先を持つか
- いかなる歴史の大河から生まれるか
- いかなる言語で思考するか
- いかなる文化の中で育つか
- いかなる親から生まれるか
- いかなる子が生まれるか
- いかなる家族とともに生きるか
- いかなる土地に骨を埋めるか
これらはすべて、人間の都合を超えた「選べない宿命」である。
しかし、戦後日本というモルモット・ケージの実験場は、この選べない宿命を「不自由」「封建的」「古い」と刷り込み、徹底的に否定した。 もちろんいくら否定しても選べない事実は消えない。逆に否定や放置によって解決不可能な精神の毒へと化していく。 その行きついた先が、現実からの遮断と自己欺瞞であり、その先にあるのは「自殺」である。 あるいは小林の言う「自意識の過剰がもたらす(自殺より辛い)精神の死」である。
しかもモルモット・ケージは、戦後日本人に、「自分の都合で自由に選べるもの」だけを至上の価値として徹底的に摺り込んでいく。徹底的に洗脳していく。恋愛至上主義もこの洗脳の一つである。
- 価値観は自由に選べる
- 国籍もアイデンティティも自由に選べる
- 恋人・夫婦・パートナーも自分の都合で自由に選べる
- 恋愛も離婚も自分の都合で自由に選べる
- 家族形態(核家族・家族の破壊)も自由に選べる
- 性自認も自由に選べる
これらはすべてモルモット・ケージが仕掛けた、自己解体の洗脳にすぎないが、戦後日本人は完全にそう思い込み、個人のアイデンティティから性差の役割に至るまで、すべてを自分の都合でリセットできる「選べる契約」にしてしまった。その結果、国家は「いつでも解約できる、選べるものの寄せ集め」へと成り下がった。いつでも退会できるただのサークルになってしまったのだ。そこに命を懸ける神聖さなどあるはずがない。 宇宙から日本民族が受け継いだ「国家の神聖なる精神」は、ついに失われたのである。国家が死ぬのは構造的な必然であった。
◆ 国家の死を見抜くことが、魂の再生の第一歩である
国家の死を見抜き、直視することは、絶望ではない。 これこそがあなたの「魂の再生の第一歩」なのだ。 なぜなら、死を見抜いたときに初めて、再生の道が見えるからである。 もし国家が死んでいることさえ見抜けないなら、このまま、何も知らないまま、宇宙と断絶したまま、モルモット・ケージの欺瞞と孤独と憤懣の中で憤死するだけである。
国家が死んでも、宇宙は死なない。 国家が断絶しても、宇宙の「縦の線」は断絶しない。一瞬たりとも途切れていない。国家の死の構造を見抜いた今、あなたは国家の精神を取り戻す地点に立ったということである。 国家の精神を取り戻すとは、他でもない、あなた自身が「宇宙の縦の線」と再びコンセントを繋ぎ直すことである。
(次回に続く)
次回予告:
来週7月7日、七夕。この日は世界最高峰のソムリエと称賛される熱田貴の生誕日でもある。 そこで中江藤樹シリーズは1回だけ中休みし、かわりに、熱田貴が半世紀前に青雲の志を抱いてどうやって世界最高峰のソムリエへの道を踏み出したか、彼の著書と彼自身の話から切り抜く。
そして、次々回、7月13日、いよいよ中江藤樹の核心の一つ、「宇宙と人間の相似性」を描く。親の崩壊の背後にある「歴史の病」、そしてその背後にある「国家の死」の構造を見抜いた今、 私たちは次の段階へ進むことができる。
――宇宙と人間の相似性。
国家の縦の線とは、 宇宙の縦の線の地上への投影である。 親子関係とは、宇宙の生成原理が地上に刻んだ“ひな形”である。
宇宙と人間の構造がどのように相似しているのかを、 中江藤樹・内村鑑三・小林秀雄・渡部昇一の視点で徹底的に論理化する。
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出典・参考一覧
中江藤樹: 『鑑草(かがみぐさ)』(君臣・国家の倫理を宇宙の相似形として説いた著作)
江藤淳: 『閉ざされた言語空間』(文春文庫)、『一九四六年憲法-その拘束』(文藝春秋)
※「国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」という国家主権と精神の崩壊を追及した論考。
小林秀雄: 『本居宣長』(新潮社)
※日本の「選べない歴史・伝統(漢意に対する大和ごころ)」の体系を論じた、小林批評の集大成。
渡部昇一: 『これだけは知っておきたい日本の歴史』(PHP研究所)
補足:内村鑑三の視点(本文が長くなったので補足として記載)
◆ 「縦の線」の崩壊 ~国家の根本法則は「縦の線」である(内村鑑三の視点)
前回見たとおり、聖書の十戒の第5条「父母を敬え」とは、単なる道徳ではない。「宇宙生成の物理法則」である。内村鑑三はこのことを見抜いていた。 ここで内村の洞察をさらに国家の次元に深化させる。内村はさらに、「父母を敬うこと」こそが、国家という巨大な建築物を支える唯一の「根本礎石」であることをも見抜いていたのである。
父母を敬うとは、親の個人の人格や、その過ちを肯定することではない。 父母を敬うとは、「国家の縦の線(歴史と生命の連続性)を、自らの肉体において実践する」ということだ。
しかし戦後日本は、モルモット・ケージの社会実験によって、この「父母を敬う」という縦の線を徹底的に切断した。
その結果、何が起きたか。
- 国家は神聖な精神を失って漂流し
- 家族は単なる同居人の集まりへと形骸化し
- 親は絶対的な役割を失って迷走し
- 子は大地に張るべき根を失って孤立し
- 日本民族は、誇りと自信を完全に喪失した
これらは個別の問題ではない。すべては「国家の死」という巨大な地殻変動が引き起こした、恐るべき連鎖反応なのである。
ご参考
1)4万年の連続性
金沢大学などの近年の分子人類学・集団遺伝学において、日本人は日本列島への到達(約4万年前の旧石器時代)から縄文時代を経て現代日本人に至るまで、独自の「東ユーラシア基層集団」としての遺伝的特徴(固有ゲノム)は、激しい断絶を起こすことなく色濃く受け継がれている。すなわち日本人の遺伝子は4万年間連続していることが明らかになっている。
2)日本人の4万年の「宇宙と一体の生活」
日本人はもともと縄文の昔から、大自然の息吹の中に神々を見出し、宇宙と和楽する家族生活・社会生活を営んできた。「サザエさん」家のような、おじいちゃん、おばあちゃん、娘夫婦(または息子夫婦)、孫たちが一緒に暮らす三世代家族が日本の家族の原形である。旧石器時代を含む実に4万年もの間、我々の祖先の伝統的な家族は宇宙のエネルギーと完全に一体化していたのである。
3)「宇宙との関係」を破壊してきた外圧の歴史
この強靭にして温かな精神世界・家族生活は、2300年前の「弥生人」の渡来、1800年前の「大和人」の渡来、200年前の「欧米人」の渡来によって、徐々に侵食され破壊されてきた。そして、80年前(1945年)の「GHQ」という最大の外圧の渡来によって、ついにトドメを刺された。
4)中江藤樹に関する歴史の消去工作
墨塗り教科書(1945年〜1946年): 文部省による修身、日本歴史、地理の教科書の授業停止、および「中江藤樹(近江聖人)」をはじめとする日本の偉人・徳行に関する記述の削除命令。
88箇所から0箇所へ: 戦前の『尋常小学修身書』等において、中江藤樹の「大孝」「孝道(徳の根本)」の逸話は広く掲載されていた。しかし、日本人の愛国心を警戒したGHQおよび戦後利得者たちによる学習指導要領の度重なる変更により、封建的抑圧を排する教育改革という建前のもと、小・中学校の教科書からその主たる記述が一時完全に姿を消した。
民間芸能(浪曲・講談)の検閲: GHQの民間情報教育局(CIE)による「封建的・軍国主義的復讐を美化する物語」の禁止措置。これにより『忠臣蔵』や、中江藤樹の徳行を描いた演目が一時上演自粛・制限に追い込まれた。
5)団塊の世代の悲劇
とくに、生まれながらにGHQから洗脳された団塊の世代が結婚適齢期を迎えた1970年代、彼らは家族と同居することを拒否し、新婚夫婦だけで核家族を作っていった。すなわち4万年にわたる伝統の家族(三世代家族)を破壊していった。ここに至って日本人は神や宇宙との伝統の繋がりを完全に断絶し、自滅の道を突き進み出した。そしていま、団塊の世代をはじめとする我々日本人が直面しているのは、深刻な家族崩壊、故郷喪失、夫婦別居や離婚、無縁社会の闇、孤独と絶望、介護問題、増税、物価高、ワクチン被害、企業の所有権喪失、資源の所有権喪失、貧困化、孤独死などの悲劇である。
6)戦勝国が敗戦国を徹底的に搾取し弱体化するのは歴史の必然
この地獄絵図の根本原因は、GHQと戦後体制が国を挙げて組織的に行ってきた「日本精神の破壊工作」にある。すなわちウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)をはじめとする日本民族弱体化政策である。しかし、米国などの戦勝国が、敗戦国を徹底的に搾取し、二度と牙をむけないよう徹底的に弱体化するのは、歴史のリアリズムである。世界中どこでも当然のことなのだ。
7)問題なのは日本人自身
問題なのは、日本人自身がその欺瞞に蓋をして自滅の道を突き進んでいることである。日本のメディアが「個の自由」というインチキのプロパガンダを垂れ流しているのは、戦勝国である米国とそれに追従する戦後利得者が日本弱体化のためにやっていることだから、いわば当然のことだ。問題なのは日本人が自らそれに乗って浮かれていることだ。あるいはそれに乗って浮かれようとしていることに問題がある。
8)完全に弱体化した日本人
彼らの日本民族弱体化政策の最大の核心こそが、「日本の伝統的家族(三世代家族)の破壊」である。日本民族は家族がバラバラに解体され、必然的に故郷も破壊され、個人個人のつながりも断たれ、孤立し、大地から断ち切られた浮草のように弱体化したのだ。
9)日本民族の現在の立ち位置
かつて内村鑑三が烈火のごとき信仰心で時代の欺瞞を撃ち、小林秀雄が歴史の「骨」を噛み砕くように魂の連続性を凝視し、渡部昇一が恐れず戦後利得者の嘘を暴いたように、我々もまた、戦後メディアの洗脳を剥ぎ取り、隠蔽された真実に直面しなければならない。
登場する思想家
- 中江藤樹(1608〜1648) 縄文時代以来の「宇宙の理」を解明し、万物の根源への感謝である「孝」と人間の内なる良心(良知)に従う「知行合一」を思想の核心とした。日本陽明学の開祖。後世に「近江聖人」と仰がれた。私塾「藤樹書院」を開き、身分の隔てなく農民や馬子まで教え育てた。宇宙の絶対秩序である「孝(魂の縦軸)」を解明し、実践した。日本人の精神的背骨を築いた先駆者。
- 江藤淳(1932〜1999) 戦後を代表する文芸批評家。GHQ占領下の徹底的な検閲と精神改造プログラムを暴いた『閉ざされた言語空間』を著し、戦後日本列島が「国家の精神を根絶やしにする巨大な実験場」と化していた実態を冷徹に告発した。戦後の「選べる自由」という幻影(マトリックス)に酔いしれ、自己欺瞞に陥った知識人や国民を痛烈に批判。国家の本質を「人が死ぬ如く国も亡ぶ」という宿命の体系として捉え、米国の精神的植民地となった戦後空間の呪縛を解くために、全生命を賭して戦い抜いた孤高の知性。
- 内村鑑三(1861〜1930) 明治・大正期のキリスト教思想家。政治の混乱は国民の内面の混乱の表面化にすぎず、日本国民が地上の国家権力やグローバリズムよりも上位にある普遍的価値(神・宇宙)に繋がらなければならないを提唱。独自の「無教会主義」を唱え、国家や世俗の権威に屈せず、宇宙の絶対道徳(神)の前に一人立つ精神を貫いた。著書『代表的日本人』の筆頭に中江藤樹を挙げ、その宇宙倫理を絶賛した。
- 小林秀雄(1902〜1983) 昭和を代表する文芸批評家。近代的な自我や合理主義の欺瞞を排し、人間が「選ぶことのできない宿命(必然)」のなかにこそ、真実の生と不動の魂の力が宿ると見抜いた。戦中・戦後を通して「流行のイデオロギーや社会制度の変革(外側の出来事)に熱狂する知識人」を痛烈に批判し、常に人間の「宿命」や「内なる美(魂の調律)」を見つめ直すことを求めた。比類なき直観の思想家。
- 渡部昇一(1930〜2017) 英語学者、高名な評論家。保守知性のリアリズムから、歴史や言語、文明の本質は「祖先から子孫へ」という「縦の継承」によってのみ維持されることを提唱。戦後の個人主義・快楽主義による文明の衰退を警告した。また占領政策(WGIP)によって植え付けられた自虐史観を利用して利益を得る「戦後利得者」の存在を告発した。著書『戦後解体』『戦後利得者たちの戦後体制』等。

