たましいが身体から離れるすこし前に、わたしたちの感覚器官がひとつずつ、目醒めていったのとは逆の過程で、鈍く、弱まっていきます。
感覚がひとつひとつ閉じていくなかで、最後の最後まで残るのが聴覚。
意識がはっきりとしなくなっても、聴覚はまわりの音をとらえているといわれます。
12感覚において聴覚は、言葉のなかに含まれる周波数をとらえる器官です。
わたしたちは発せられる言葉ではなく、その言葉に含まれる声音から、周波数をとらえています。
「早くしなさい」と言われたとき、その語気の強さから、相手が怒っているのか、急かしているのか、落ち着いているのか、困っているのかを、わたしたちは聴覚を通して、感じ取るでしょう。
聴覚がとらえるのは、その人や土地が発している、空気の振動。
そして空気の振動は、その周波数によって、さまざまな形を創り出していきます。そのため、誰かの声を聴いていると、心が締め付けられたり、逆に和んだりするということがあるかもしれません。
聴覚は言葉そのものではなく、言葉になる前の素(もと)=感情や思いのようなものを、音を通してとらえているとも、いえるでしょう。
わたしたちは誰もが眠るとき、ひとりであっても、誰かが一緒のときでも、自分だけのプライベートなスペースに入っていきます。
それはハートの内側。
愛する家族も、恋人も、そこは誰も立ち入ることのできない個人の聖域です。
わたしたちがハートの中心にくつろぐ時間。
そこは最も安全で安心できる場所であると同時に、自分の音が造られる元宮でもあります。
ハートで感じる、さまざまなものが思いとなり、それが言葉として表現されるものの素となるでしょう。
ですから、ハートのなかに表現していない音=言葉になる前の素がたくさん詰まっていると、ざわざわと落ち着かない気持ちになり、くつろげないかもしれません。
眠りは浅くなり、何度も目醒めて、疲れが抜けきれなくもなるでしょう。
しっかりと深く眠るためには、ハートが軽やかな状態、つまり言葉になる前の素が詰まり過ぎていないほうが良いかもしれません。
もし、なんだか、くつろげない、ハートのなかにざわざわするものがたくさんある、というときは、それをわたしたちの「はじまりの言葉」で表現し、消散させることができるでしょう。
わたしたちの「はじまりの言葉」は喃語です。
赤ちゃんが言葉を発する前に、話していた言葉「わうわうわー」「はふぶー」「まんまんまー」といった、意味にならない言葉は、わたしたちのハートのなかに詰まっている言葉の素を手放させます。
そこには理屈も説明もいりません。
ただ、感じていることを、音でそのまま、表現すればいいのでしょう。
そして軽やかになったところで、ハートの内側に入り、深くくつろぐと、わたしたちは個人の意識を超えて、集合意識、集合無意識へと向かっていきます。
個人が世界とひとつに溶け合い、大地とつながり、天とつながり、宇宙とつながっていく。
わたしたちが言葉が創られる元宮に、深くくつろぐことで、世界と再びひとつとなる体験を、夜ごと繰り返しているといえるでしょう。
聴覚を司るのは蟹座。
わたしたちを地球のもっとも安全な場所と結びつける星座です。
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