†白蛇に導かれ†《四》 | みらくる☆彡

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。。。つづき


境内


境内は松尾山の東山麓に位置する。

古代には松尾山頂の磐座で祭祀が行われたが、
大宝元年(701年)に現在地に遷座したとされる。

現在の境内面積は約12万坪で、
全域が風致地区に指定されている[41]。

本殿裏の社叢は極相の照葉樹林であるが、
特にカギカズラが自生してその分布の北限を成していることから、
「カギカズラ自生地」として京都市の天然記念物に指定されている[42]。

そのほか、
境内入り口には京都府神社庁がある。


社殿



本殿(重要文化財)

類例の少ない両流造で
「松尾造」とも称される。



拝殿(手前)と中門・本殿(右奥)

本殿は、
弘安8年(1285年)[原 20]の焼失を受けて室町時代初期の応永4年(1397年)に再建されたのち、
天文11年(1542年)に大改修されたものになる。

部材のほとんどは天文11年のものであるため、
現在の文化財に関する公式資料では天文11年の造営とされている。

形式は桁行三間・梁間四間、一重、檜皮葺。

屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、
この形式は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のものである[注 5]。

本殿は東面しており、
彫刻や文様など随所には室町時代の特色が表れている。

天文の大改修後は嘉永4年(1851年)、
大正13年(1924年)に大修理が加えられ、
昭和46年(1971年)に屋根葺き替え等の修理が行われた。

この本殿は国の重要文化財に指定されている。[43][44]

本殿の北側には、
本殿と並ぶ形で神庫が立つ。

この神庫は縦二間・横三間、 
校倉造で、檜皮葺。

室町時代初期の「近郷図」ではこの場所に仮殿が見えるが、
元禄・寛政期の絵図では代わって神輿庫が見える。

その神輿庫は文久3年(1863年)に拝殿南側の現在地に移築され、
さらに代わって建てられたのがこの神庫になる。[45]

本殿には向拝を接して釣殿(つりどの)が接続しており、
その釣殿の東に接して回廊が南北に延び、
本殿と神庫を囲む。
 
この回廊には3つの門が開かれており、
中央の本殿正面にあたる門は「中門」、
北の門は「北清門」、
南の門は「南清門」と称される。

回廊は板敷で、
釣殿・回廊・門の屋根はいずれも檜皮葺である。

なお、これらのうち釣殿は
「近郷図」には見えない。

以上の建物は
嘉永4年(1851年)の改築になる。

また回廊の右手奥には神饌所があり、
献上される神饌はここで調理される。[46]

中門正面にある拝殿は
入母屋造で、檜皮葺。

広場の中央に立ち、
大祓式のほか各種神事で使用される。

この拝殿は、
元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれている。

また、
表参道に建つ楼門は桁行
(間口)三間・梁間
(奥行)二間の三間一戸楼門[注 6]
屋根は入母屋造檜皮葺。

寛文7年(1667年)に棟上げされた。

高さ約11メートルで大規模なもので、
華美な装飾はなく和様系で古式の楼門である。[47]

境内入り口に立つ鳥居は、
有栖川宮幟仁親王の筆になる額
「松尾大神」を掲げる。

鳥居には「脇勧請(わきかんじょう)」と呼ばれる
榊の小枝の束12本が下げられているが、
これは鳥居の原始形式を示すものと伝える。[48]



楼門



客殿



鳥居


御神蹟

大社背後の松尾山は、
古くから神奈備として信仰された山とされる[49]。

その山頂付近は
『秦氏本系帳』に祭神が降臨したと見える
「松埼日尾/日埼岑」にあたるといわれ、
かつては大杉谷に残る
「御神蹟(ごしんせき)」と称される巨石を磐座として祭祀が行われたと伝える[49]。


亀の井



亀の井

大社の社殿背後には、
「亀の井(かめのい)」と称される松尾山からの湧水の泉がある[50]。

この亀の井の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、
醸造家がこれを持ち帰って混ぜるという風習が現在も残っている[51]。

松尾大社が酒の神として信仰されるのはこの亀の井に由来するもので[50]、
その信仰により全国に創立された松尾神の分社は1,280社にも及ぶという[52]。

「亀の井」の名称は、
松尾大社の神使が亀であることに由来するとされる[50]。

神社文書によれば、
松尾神は大堰川を遡り丹波地方を開拓するにあたって急流では鯉に、
緩流では亀に乗ったといい、
この伝承により鯉と亀が神使とされたとされる[53]。


松風

境内には「松風苑(しょうふうえん)」として、
昭和50年(1975年)に完成した庭園が広がる[54]。

松風苑は3種類の庭園からなり、
それぞれ「上古の庭」は上古風に磐座を模した庭園、
蓬菜の庭」は鎌倉時代風に蓬莱島を模した庭園、
曲水の庭」は平安時代風に清流が流れる様を模した庭園である[54]。

これらは近代の作庭家の重森三玲最晩年の作でその代表的なものであり、
昭和の日本庭園を代表するものの1つとされる[54]。



上古之庭



曲水之庭



蓬莱之庭


つづく。。。