わたしが5月に販売したサービスは、すべて高額でした。
どうしてその金額にしたのかというと、
それが「適正」だと思ったからです。
世間一般では「法外」な価格と思われる価格帯ですが、
わたしの中だけで「適正」であると納得した金額でした。
何故なら、わたしは自分がどれだけ関わっても、
絶対に後悔しない金額にしたかったから。
でも、それを「えげつない」と思う人もいることは容易に想像できました。
だったらわたしは、
自分の存在だけを商品にしようと思った時から、
もうとっくにえげつなかった。笑
自分のサービスやアイデアに価格を付けるのは自分。
これは、売る側の適正価格。
それに賛同してくれる人がいるかどうか。
それは、買う側の適正価格に適うかどうか。
それだけです。
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知られざる古美術品のひとつに、
「根付(ねつけ)」というものがあります。
こうやって、印籠とかを帯に吊るすためのもの。
モノによっては数千万、家が一軒買えるほどの値が付きます。
そして、そのコレクターは、その情報を外には絶対に出したがらない。
何故かって、それはきっと、
「わかる人にしかわからない」ものだからなのでは?
「わかる人」というのは、
「自分自身の感覚をわかる人」のこと。
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世界的コーチ、アンソニーロビンスの2014年来日公演は幕張メッセにて開催、
その規模数千。
お席のお値段は最低98,000円、最高980,000円。
最初に完売したのは、980,000円の席。募集開始15分で完売。
次に完売したのは、上から3番目のお値段の25万円台の席。
ちょうど2014年のわたしは、
「そんな事にそんな金額を払うなんて、バカじゃん」と思っていました。
でも、今はそうは思いません。
好きなこと、会いたいと思った人に、
「そのお金さえ出せば会えるのなら」と思い、
実際にそのお金があり、出せるのならば、
素晴らしいことだと思うのです。
好きなことに好きなだけ没頭する「自由」を、
お金と交換しているだけ。
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過去にお金で困ったことがある人ほど、
高い値付けをすることに抵抗が出ます。
そして、お客さんの対象が「過去のかわいそうな自分」だったりするとね。
ただの「話題性」だけが目的なひともいますけどね。
そもそも金額の問題じゃないというか。
でも、「本当に欲しい金額」を提示しない人は、
そもそも自分の価値を自ら低いと信じているか、
過去のお金に困っていた自分を重ね合わせて、
「そんなに高くしたら売れない(過去の自分には買えない)」
と思う。買えないなんてかわいそう!とか。
あるいは、
「そんな金額提示をしていることが、世間にどう思われるか」が気になって。
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色んな自己啓発者が言うように、
「お金」っていうのは、
わたし達が感情を存分に感じるためのきっかけをもたらす、
ただのツール。
例えば、5月のわたしのセッションやゼミに参加してくれた皆さんは、
その金額に自分の「何か」を掛けた。
あるいは、「掛けてみたい」と思った。
思った通りのものが得られた人もいて、
思った通りのものが得られなかった人もいるかもしれない。
だけど、今回で言えば、
その金額を出してみて、
それまで動かなかった「何か」が動かが動かなかった人は、
ひとりもいないのです。
今回のゼミで言えば、
「誰もが本気になれる金額」にしたかった。
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「何か」とは、感情。
恐怖、不安、期待、絶望、希望、安心、情熱、
それともほかの何か。
「お金」と「生命力・感情」」がリンクしている、
という人はとても多いから。
だけど、「変わること」を促すためのツールのひとつ。
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「世間的な感覚=適正価格」と思うのは、
とても庶民的な考え。
「ふつー」っちゃ「ふつー」です。
それもいいけど。
「適正価格」というのは、
そこに値を付ける人も支払う人も、
自分で「適正」だと思ったらそれが「適正」。
それは、それぞれの審美眼にも似ていますし、
それぞれのセンスです。
実際、わたしには「大好きなもの」がたくさんあるけど、
お金さえ出せばなんとかなるなら、
「なんとかしたい」と思うことも沢山ある。
人も不動産も、そういう意味では同じ。笑
今のマンションは賃貸なのですが、
数年前まで住んでいたマンションは、
湾岸エリアバブルのおかげで購入金額の約二倍で売却しました。
不動産を見ていると、
価格なんて、有ってもないようなものだと思わざるを得ません。笑
それこそ、「世間常識」で言ったら、
常識外れな世界です。
だから、不動産屋は悪口もいっぱい言われるんだろうな・・・笑
安ければいいってもんじゃないし、
もちろん高ければいいってものでもなく。
「その時、欲しい」と思ったものが、たまたまどういう値段だったのか。
で、その時の自分は、それでも「欲しい」と思うのかどうか。
本当にそれだけです。
自分自身のそのセンスを信じるべきだし、
そのセンスが働かないようなお金の遣いかたこそを、
「無駄遣い」と言う。
無駄遣いを沢山後悔した先にあるものが、
「絶望」から「成長」に導いてくれたりもする。
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「世間の常識」はいつもわたしに語り掛けてくるし、
「自分よりも先を行っている、と思う人の意見」は、
どうしたって強く揺さぶりを掛けてきますね。
それでもわたしは、わたしの「感覚」を信じたいと思っています![]()
わたしは、そのために生まれたのだということを、思い出したから。
「わたしの常識」を信じるだけだから。
むかしのわたし、アデュー![]()
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