皆さん、こんにちは。

フィレンツェのヴェッキオ宮殿内の
五百人広間の現在の壁画の後ろに
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が隠されていると
言われて早何年でしょう。。。


先日、
ヴェッキオ宮殿の塔からのフィレンツェの風景
の記事を書いています。


そして、2年ちょっと前まで問題の謎と
なっている絵が隠されていると言われている
五百人広間の場所は調査の為に
一部覆われて足場が組まれていました。


研究はいかに進んでいるのだろうと
思いきや、謎は曖昧の状態のままに
覆いは取り外され、
何事もなかったかのように元通りになったのです。




まずこの謎のレオナルド・ダ・ヴィンチの
『アンギアーリの戦い』という壁画についてです。


まずはヴェッキオ宮殿の五百人広間から
見て行きましょう。




向かって右側の壁一体の壁画の裏に
レオナルドの絵が隠されていると言われています。





現在のこの右側の壁画は、
1500年代半ば過ぎにミケランジェロの弟子であり、
メディチ家の宮廷芸術家のジョルジオ・バザーリに
よる『マルチアーノ・デッラ・キアーナの戦い』です。


メディチ家の為にヴェッキオ宮殿やこの五百人広間の
大改装を手がけました。


新たな壁をつくって、この現在の絵を
描きました。
その際にレオナルドの書いた壁画は消えて
しまいました。

尊敬するレオナルドの絵を
ジョルジオ・バザーリが傷つける筈はないとも
言われています。


実際、現在のジョルジオ・バザーリの絵の中には、
Cerca trova 『探せば見つかる』とイタリア語で
兵士の持つ緑の旗の上に書かれているのです。



赤い丸で囲いをした緑の旗に黄色の文字で
探せば見つかると書かれています。


この絵の裏にレオナルドの絵があるということの
示唆であろうと言われています。



1500年代の最初にフィレンツェ共和国の依頼で
レオナルドに依頼されたのが、
問題の謎となっている
『アンギアーリの戦い』です。


1440年にフィレンツェ共和国軍がミラノ公国軍を
破った戦いの記念に依頼されたのです。


1年後には制作が断念されています。


理由は様々な説があります。


ミラノの教会の最後の晩餐の苦い経験から
フレスコ画ではなく油絵で絵を描きだしたと
言われています。


レオナルドが実験的に取り入れた方法が
失敗して途中で諦めたのではないかと
考えられています。


制作前に描かれたスケッチや、他の画家による
壁画の模写が残っています。

ルーブル美術館に所蔵されている
1603年に書かれたルーベンスのこの絵は
レオナルドのアンギアーリの戦いの模写です。



イタリアの美術史家の
マウリッツィオ・セラチーニ教授が長年の間、
この絵の裏にレオナルドの絵が隠されていると
主張をしています。



2011年に
現在のジョルジオ・バザーリの壁画に小さな
穴を開けて内視鏡カメラなどを使って
もうひとつの内側の壁の物質が調査されました。



その結果、
他の絵でレオナルドが使っていたのと同じ
顔料が見つかったと報告されたのです。



ところが、この調査は、
セラチーニ教授と親しい機関で行われ、
本来この調査を正式に行われなければ
ならないフィレンツェの機関を通さなかったのです。



話は少しずれますが、

イタリア史上最年少の39歳で2014年に
現在の首相になったマッテオ・レンツィ氏が
2年少し前の2012年の8月には
まだフィレンツェの市長でした。

マッテオ・レンツィ氏は
再度穴を開けて調査を進めるように希望、
(フィレンツェの経済的な影響や文化的遺産の観点)

調査の出資をしていたナショナルグラフィックは、
劇的な結果を期待、


本来顔料を調査すべきだったフィレンツェの機関は、
調査の中断を求める、

と様々な人間模様が繰り広げられたのです。



イタリア人の美術史家達は
現在のジョルジオ・バザーリの壁画に
これ以上穴を開けるのは反対が多数でした。


結果、2012年の8月に
レオナルドの謎の絵の
調査の中断が決まったというわけなのです。


世界各国にもニュースが流れ、
いよいよレオナルドの謎の絵が真実となる!
と思われていたはずです。



この五百人広間に行くと、
いったい何だったのだろうと思わずにいられません!!


今日もお読み頂きありがとうございました。