やっぱりあの日 震災体験をしたので、
毎年綴ろうと、おもいます。🌌
私は実家の、兵庫県三木市に当時、
住んでいて、
22歳で、家から近い老人介護施設で働いていて、 地震がおきた朝は、出勤しました。
上下かなり、激しく揺れ
体験したことない揺れに ビックリして、
母は、パニックになり、私はこわすぎて固まりました。 父は、落ち着いてと、言っていたようにおもいます。
必要な荷物を、車にのせて、
外に飼っていた犬の、名前は、🐻クマも、車にあわてて乗せた記憶しか、いまはありません。
出勤したら、その日出勤する予定の婦長さんが、出勤されなく、連絡とれず、後から知り家が全壊され、命からがら逃げられ避難されたとのこと。
わたしは、入所者の方の
お部屋の、ごみ箱のゴミ集めや、お仕事しながら、テレビ画面をみて、あ然としました。
兵庫県長田区は、火の海で、三宮は、ビルが倒壊し前の日に、友人と
三宮に遊びに行っていたので、
本当に神戸なのか?夢をみている気分でした。
遅れて出勤した 職員は、車でくる道中
火災がありおくれたり、
今の再会した天使なハ~ト持ち主友人は、電車が止まっていたなか、同じ施設の
介護職員の家まで、何時間も、あるいて食料品をとどけたり、
全壊した一人暮らしの
介護職員の先輩に、みんなで
食料品をわたしたり、だれかのおうちに、先輩は、お風呂に入れてもらったりしていました。
わたしも全壊された先輩に、
インスタント食品や 果物を渡しました。
その先輩が、介護施設の、併設のアパートに避難されていたとき、
唯一少しばかりの現金と、亡きお父様の遺影を持ちだすことができたと話され、先輩のアパートで、エメさんお礼に、
なんもないけど、
大好きな、豆から挽いたコ~ヒをごちそうするわと、何もかも、失われた先輩から、
わたしはちゃっかり おいしいコ~ヒを、ごちそうになりました。あのときは、先輩40代後半
わたしは、20代で あまり仕事場ではよく話さなさかった先輩だったのだけれど、、、
今でも、ふとあのコ~ヒのことを、おもいだされます。
わたしの親戚は、少年野球部の監督を今も、していますが、 そのときに、
少年野球部の、お子様が天に召されたり
自分自身が、いろんなことで助けてあげれなかったと、悔やみ、当初心の病になりました。
いまは、元気になりました。
今でも、少年野球部の監督として、子供たちに震災があって多くの命が、天に召されたことお話と、ともに、
そのひとたちの分まで
しっかり生きていこうねと、🌟 お話をしているようです。😌親戚は、いまとても、やさしい淡い水彩画を、その時から、祈りをこめながら、もう、何年も、描いてます。
そんなやさしい親戚の、絵がわたしも 大好きです。♥️
他にも、書き出すと沢山ありますが、このへんで、やめておきます。
阪神淡路大震災、そして、いまでも、
避難生活など、暮らされている方たちに、
沢山の癒やし、希望 喜び平安が、ともにあられますように。 🌏✨✨✨✨
お祈りすることや、少しばかりの思いついたときの、募金しか思いついたときにしか、できませんが。
長文 お読み下さり、ありがとうございました。💌





