仏道に励む人を外から見ると、常に自己を律している、いかにも高尚な人であるように感じられるかもしれません。
 しかし、親鸞は妻子とともに生きる自分の生涯は、いかに賢そうに取り繕ってみても、人間としての煩悩や業と離れることはできないと「愚」を自覚しました。

 はじめ、親鸞が法然に出逢ったとき、法然はすでに多くの人から高い尊敬の念をもたれていたのにも関わらず、「愚痴の法然房」と自称していました。だからこそ、念仏に励んだのです。その教えが、聖典にこう書かれています。

「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能く学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともがらに同じくして、智者のふるまいをせずして、只一こうに念仏すべし。」(一枚起請文・聖典九六二)
 そして「浄土宗の人は愚者になりて往生す。」と言いました。いくら仏道に励み、教典を理解しても、賢者のふりをせず、ひたすらに念仏をするようにと、説いたのです。

 親鸞は、後に「承元の法難」という迫害にあい、越後の国府に配流の身となります。そこは酷寒の地。耕す大地も、背丈の程の雪に埋もれた厳しい土地。にも関わらず、生きていかなければならない。自己を見つめ、ひたすらに念仏しながら、親鸞は「凡愚」の身であると自らうなずいたのです。
「賢者の信を聞きて、愚禿(ぐとく)が心(しん)を顕す。
 賢者の信は、内は賢にして外(げ)は愚なり。
 愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。」(愚禿鈔)

 自分の愚かさを徹底して知った親鸞は「愚禿釈親鸞」と名乗ります。学んでも求めて、いえ、学んで求めるからこそ、余計に自分の「愚」に気づく。それが道を求めるということなのでしょうね。