最近はどの家もほとんどがサッシ戸です。京都だとたまに町家などで、木枠で薄い窓ガラスのはいった様子を見かけるのですが、現代住宅では建具がガタピシ言うなんてことは少なくなりましたね。
それでもふすまなどは滑りが悪いと、そんなこともあるでしょうか。うまく滑らないふすまを、コツを使ってスイッと開けられたらちょっとうれしくて。
人間関係でも、ガタピシ音がすることはありませんか?そもそも、ガタピシは、仏教語の「我他彼此」からきています。「我他彼此見(がたぴしのけん)と言えば「自分と他者を区別する見解」を持つこと。これは、ちょっと困ったことになるのですね。だって、仏教ではなるべく「無我」を良しとして、我執から離れたほうがよいとされていますから。それなのに、「我他彼此」は我と他、彼と此で二者が対立して音を立てて、かみ合わない。
そんな時はどうしましょうか。自分と他者を区別しないようにするといいのでしょうか。でもやっぱりしてしまいますよねえ。聖人君子ではありませんから。だったら、自分と他人、違っていて当たり前。違いがあるからすばらしい。そう認めればいいのではないでしょうか。そしたら、ガタピシの音も段々小さくなってきて、やがて心地よいBGMになるかもしれません。
それでもふすまなどは滑りが悪いと、そんなこともあるでしょうか。うまく滑らないふすまを、コツを使ってスイッと開けられたらちょっとうれしくて。
人間関係でも、ガタピシ音がすることはありませんか?そもそも、ガタピシは、仏教語の「我他彼此」からきています。「我他彼此見(がたぴしのけん)と言えば「自分と他者を区別する見解」を持つこと。これは、ちょっと困ったことになるのですね。だって、仏教ではなるべく「無我」を良しとして、我執から離れたほうがよいとされていますから。それなのに、「我他彼此」は我と他、彼と此で二者が対立して音を立てて、かみ合わない。
そんな時はどうしましょうか。自分と他者を区別しないようにするといいのでしょうか。でもやっぱりしてしまいますよねえ。聖人君子ではありませんから。だったら、自分と他人、違っていて当たり前。違いがあるからすばらしい。そう認めればいいのではないでしょうか。そしたら、ガタピシの音も段々小さくなってきて、やがて心地よいBGMになるかもしれません。