日常語の「覚悟」は心構えや、あきらめを意味します。
「覚悟はありますか」と聞かれると、私など小心者ですからとてもドキドキします。いい年をして、まさか覚悟もないだなんて、ほんとうに答えに窮します。
けれど、仏教で言う「覚悟」はなおさら「はい、あります」などと簡単には口にできません。本来の意味は「心理を体得してさとりを得る」ということなのですから。「覚」は「さとりの智慧」という意味で、仏教ではよく使われます。単に覚えている、という記憶のことを示すわけではありません。「覚者」は「さとりに達した人」すなわちブッダでしょう。迷いの眠りから目覚めた人のことです。「悟」も、文字通り「さとり」を意味しますから、「さとり」を二つ重ねた「覚悟」は何とまあゆるぎない言葉なのでしょう。

 そう考えれば「覚悟がある」など、もうやすやすと口にできないとさえ、思えますね。一生のうちに晩年くらいに持てればいいのではないかしら。そんな風にのんびりのんびりと過ごすほうがよいのではないかしら。
 覚悟のないあなた。いいじゃありませんか。私も同じです。いつか持てるようになるまで、ゆっくりじっくり人としての学びを楽しみながらいきましょう。