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餓鬼(がき)

 子供を「ガキ」と卑しめた言い方で呼ぶのは、子供が食べ物をむさぼり食う様子を餓鬼に例えてのことです。
 しかし、今は飽食の時代。遠足用にと小学校で配られたおやつの封を切らないまま家に持ち帰り、ずっとそのままという例もあります。親が「どうして開けないの」と聞くと「あまり好きなおやつじゃないから」と気のない返事。
 五百円札をにぎりしめて、わくわくしながら遠足のおやつを買いに行った親の世代とは隔絶の感です。ああ、あの時の私こそまさに「ガキ」ではなかったか、と。

 仏教の「餓鬼」は、間断なく飢餓に苦しむ亡者(もうじゃ)のことです。「死者」「逝きし者」を意味する、サンスクリット語「プレータ(preta)」の訳語です。
 なぜ、そうなったかというと、インドでは死後の法要が行われなかった死者の霊は、子孫に供養されず、供物も供えてもらうことができないために、死んだ後も飢えに苦しむと信じられていたのです。
 生前に嫉妬深い行為や、物惜しみ・貪欲な行為をした場合には悪業の報いとして、六道(りくどう/地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界)のひとつ、餓鬼道の住人になるとされました。
 目の前に食べ物が有り、食べようとすると炎に変わる。永劫に食べることのできない、世界です。

 このことから、人は生前の行いにより、次に生まれ変わる世界が変わる「転生」という言葉が浮かびます。
 しかし、そうした善悪に縛られた輪廻や転生にどのような意味があるのでしょうか。死後、どのように転生するのかを思い悩むのではなく、むしろ、今この瞬間をいとおしむように生きたいのです。
 現代社会や我が身の内部にあるいは潜むかもしれない「餓鬼」と向かい合う覚悟を決め、生きているうちに自覚を得て、喜びとともに歩みたいのです。



メールマガジン『親鸞とともに~和讃点描』では、木蓮の父・南岳(僧侶)の著書「和讃素描」から1章ずつ配信しています。専門的な内容がほとんどですが、もしご関心がおありの方はどうぞ。
詳細はこちらです。→ http://www.mag2.com/m/0000125708.html

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