日本人数人と、フランス人とスウェーデン人と話していたときのこと。
第二次世界大戦をはじめとするセンシティブな政治関連の話になった途端、私を含め、日本人が皆、無口になりました。
そうしたら、フランス人が
「日本人は、センシティブな話題になると、口を噤む傾向にあるよね。
議論になるのが、嫌なのだろうね」
と。
確かに。
私は、アメリカ留学中に、
「トラブルに巻き込まれたくなかったら、政治と宗教の話はしないほうがいい」
とアドバイスされ、それを守り続けています。
そのおかげで、民族・宗教戦争とも言われる、旧ユーゴ紛争生存者の困難を乗り越える力についての研究を戦後のクロアチアでしたときも、
(↑ 15年くらい前の私)
インドに住むイスラム教徒やイスラエルに住むアラブ人等のマイノリティの話をしたときも、
トラブルに巻き込まれることなく、今まで無事に過ごせたと思っているので、家族等の限られた人以外とは、できるだけこうした話題は避けるようにしています。
また別の日本人は、
「人間関係が悪くなりそうだから、議論は苦手」
と言っていました。
そうした私たちの意見に対してフランス人は
「自分の意見を伝えて、トラブルに巻き込まれたり、嫌われたりするのは、まぁ仕方ないというスタンスかな。それより、意見を言わないことの方が嫌だ」
と。
これを聞いて、
「彼がそう言えるのは、フランス社会が、多少過激な意見を言ったり、社会倫理に反したりした人を、最終的に受け入れる器のある社会だからではないか」
と、ふと、思いました。
というのも、フランスといえば、歴代大統領に愛人や隠し子がいても、当事者も「それが何?」的な反応しかせず、国民もそのことについて大して騒ぎ立てなかった国。
(KYなんて言葉もないし。)
公人の不倫問題、日本だったら社会倫理的に許されないはず。
そのことを聞くと
「他人のプライベートに口を出せるほど、自分たちも清く正しい生活をしているわけじゃないし、ゴシップなんだから、楽しんだらいいんだよ」
と。
ところで近年、アドラー心理学を魅力的な会話方式で説明した『嫌われる勇気』がベストセラーになりました。
この書籍は、特に、他人の目を気にして疲れてしまった人たちの共感を得たようです。
でも、個人が嫌われる勇気を持ち、人からの評価を気にしないためには、
「一部の人に嫌われたからといって、人生が終わりになるほどの不利益を被るわけではない」
と感じさせてくれる社会にいることが前提条件。
「自分のいる世界は、多様な発言も受け入れてくれる社会だから」
と安心できるからこそ、自由に意見を表現することができるのだと思います。
異なる文化的背景をもつ外国人と話すと、普段、考えないようなことへと思考が広がるので楽しいですね。
■クロアチアで行った、旧ユーゴ紛争生存者の困難を乗り越える力についての学びは、現代日本に適応するように大きく変えて、以下4冊の著書と監修DVDにまとめました。よろしければ、ご覧ください。
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何があってもへこたれない画期的概念を、日常で使えるように、優しく解説しています。心が折れそうなあなたに読んでいただきたい1冊です。
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