父の日の今日、我が家の空気は冷え切っている。
きっかけは、今まさに進めている庭の改装計画だ。
共働きの我が家。家事負担をとにかく軽くしたくて。
家族5人分の大量の洗濯物を急な雨から守るため、ガーデンテラスに屋根をつけようと業者と打ち合わせをしているのだが、夫婦の会話が全く噛み合わない。
業者の前ではいかにも物分かりのいい、理解ある夫の振る舞いをする。
けれど、業者の人が帰った途端に「本当にそれでいいの?」と、問い詰めが始まるのだから、こちらの気持ちはさらに削られていく。
我が家はいま、そのガーデンテラスの屋根の素材を何にするかで激しく悩んでいる。
私が「こうしたい」と希望を口にするたび、夫からは一気にデメリットだけが羅列されるのだ。
よく使われるポリカーボネートは、やはり経年劣化するし雹にも弱いからできれば使いたくない。
それを避けて定期的に交換する布製シェードにすれば、台風のたびに一人で外す私の重労働になる。
アルミ製の屋根にすれば、今度は「物理的に考えて冬場に洗濯物が乾かなくなるし、リビングが暗くなる」と指摘が飛ぶ。
私がメリットとデメリットを自分なりに調べて、天秤にかけた上で話していても、他人の目のない場所で「本当に大丈夫?」「納得できる?」と何度も念押しされる。
まだ形にもなっていないのに、そう何度も突っ込まれると、こちらとしては「まだわからない」としか返しようがない。
夫に言わせれば、出来上がってから不満が出るより、事前にリスクを分かって進める方がいいだろうということらしい。
さらに「自分はママが見えていないところを指摘して、それでもやるなら賛成と言っているだけ。反対しているわけじゃない」と続ける。
後から後悔して、自分のせいにされたくないのだという。
けれど、例え予定と違う結果になったとしても、自分で納得して選んだものを夫のせいにするつもりなどないし、これまでだってそんな理不尽な文句を言ったことはない。
夫自身も「今までは言われたことはないけれどさぁ…」と認めている。
それなら、なぜまだ起きてもいない未来のリスクに対して、外と内で態度を変えながら、ここまで頑なに予防線を張られなければならないのだろうか。
家事も育児も一人で勝手に決めるわけにはいかないから、家族の場として相談しているのに、返ってくるのは一切の共感がないダメ出しばかりだ。
共感力の欠如。
これが我が家の夫婦喧嘩の一番の原因だ。
まるで新卒社員が上司に企画書の不備を詰められているような構図に、心底疲れてしまう。
「もう現状維持でいい。私からは提案しないから、あなたから言い出してよ」
そう告げると、夫からは
「僕は現状に不満がない。生活で不満がない暮らしなんてすごいことだよ」
という言葉が返ってきた。
その言葉に、カチンときてしまった。
夫が「よく回っている」と満足しているその快適な日常の裏には、日々の家事動線に頭を悩ませ、天気に一喜一憂しながら走り回っている私の工夫と労働が隠れている。
自分はただその恩恵を受け取っているだけだから不満がないのだということに、どうして想像力が及ばないのだろうか。
もし夫の言う通りアルミの屋根にして、冬にリビングが少し暗くなったとしても、夫を責めるつもりはない。
ただ、冬の日に「やっぱりちょっと暗いね」と何気なく呟いたとき、すかさず「だから言ったじゃん!」と勝ち誇ったように返される未来が容易に想像できて、それだけで気が重くなる。
私がほしいのは、正論によるリスクマネジメントではない。
完璧な選択肢なんてないのだから、もし冬に少し暗くなったとしても、
「その代わり夏は涼しいしね。
いまは一年の半分以上が夏みたいなものだから、
これでよかったんだよ」
と、一緒に前を向いてくれる言葉だ。
お互いの選択を認め合い、ただ並んで同じ方向を向いて暮らしたいだけなのに、どうしていつも査定する側とされる側になってしまうのか。
夜中に言い合いになり、今日はふて寝を決め込んでいる夫。
父の日ですよ。大人になりなさい。







