おはようございます。

 

建って15年ほどになる私のマンション。

 

今年の3月辺り、ちょうどコロナが流行り出した頃から大規模修繕が始まって、ああ、えらい時期に当たってしまったな~って言ってたのを思い出します。

 

大規模修繕につきものの足場がすぐに組み立てられました。

 

 

そうして本格的に作業が始まると、ベランダに洗濯物は干せない日が続き、何なら、ベランダで作業したり足場を通ったりする作業員さんと目が合いそうになるのを避けてカーテンを閉めっぱなしにしないといけなかったりと、とにかく気を遣う期間が始まりました。

 

ベランダから空を見ようにも、足場が邪魔になって風景も楽しめない。そんな日々でした。

 

作業は順調に進み、6月に入ってつい最近、その足場がとうとう解体されました。


あんなに邪魔だった足場ですが、あっという間に解体されて、今はもう作業員さんがベランダの辺りをウロウロすることもなくなった。

 

そうすると、何か寂しい気持ちになります。

 

私の心の中では、実はちょっと切ない気持ちになっているんです。正直、寂しいんです。

 

私にとって、満開だった桜が散ってしまった後に感じる寂しさと同じような感じです。

 

確かに邪魔だったかもしれないけれど、でもそれによってきれいにしてくれていたあの時間。

 

終わってしまえば、毎日来ていた作業員さんが来なくなることもきっと寂しく感じるに違いないでしょう。

 

そんなことをパートナーに話したら、

 

「はぁ?寂しい?普通はせいせいするんとちゃうの?あなたおかしいよ」

 

と呆れられてしまいました。

 

「あの足場での作業のせいで洗濯物は干せないし、作業員の人と目が合いそうになるからめっちゃ気を遣うし、あんなんじゃま以外の何者でもないやん。私はなくなってせいせいしてるけど?」

 

えっ・・・そんなものなの?

 

 

 

私はけっこう寂しがり屋なんです。

 

もちろん誰しも、言葉を交わしたことがある人や家族と離れないといけない時は寂しくなると思います。

 

でも私の場合、言葉を交わしたことすらない人でも、仕事先で、誰かが明日から違うところに行くのでここからいなくなる、というだけでものすごく寂しさを感じる。

 

いつも来ていたあの人は明日からもう来なくなるのか、と。

 

そして翌日、その人が座っていた席に誰も座っていないのを見ると、なぜかとても寂しくなる。

 

しゃべったこともない人なのに。

 

私が感じるこの寂しさは、その人がここにいた時間、足場もそうだけど、それがあった時間、自分の過ごした時間も流れていたわけで・・・その時間が過去のものになったのだと感じてしまい、切なくなるからかもしれません。

 

桜が散り、葉が生え、すっかり新緑となっている桜の木。

 

そしてつつじやサツキの季節になり、それも枯れ、いつしかアジサイの季節になっている。

 

そんな時の流れを実感すると、物寂しくなり、それぞれの花が咲いていた頃が懐かしくなって、胸がきゅっとなります。

 

足場も、そこで人が作業していた頃のことが実は懐かしい。厄介ではあったけれど、今となっては懐かしさしかない。

 

私がただ異常にノスタルジックな性格だけなんでしょうか。

 

他の人は、パートナーと同じで、大規模修繕の足場にまでノスタルジーを感じることなんてないものなんでしょうか。

 

そんな自分なのだと改めて気づいた今は、すぐに過ぎ去って過去になってしまう今という時間を大切に過ごしていきたいとなおのこと思います。

 

この今という瞬間も、一瞬で過去になる。私にとっては、懐かしくて愛おしい過去になるのですから。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村

 


自分らしさランキング