おはようございます。
今日は朝から悲しい気分です。
頭ではわかっていても、やっぱり心は悲しいと泣いている気がします。
なぜなら、約20年近く同性パートナーと生活を共にしている私にとって、この生活は、「単なる共同生活」であり、「事実上婚姻関係と同様の生活」と公的に認めてもらうことが、まだまだできないんだなということを痛感させられるニュースがあったからです。
同性パートナーを殺害された男性が、同性であることを理由に「遺族給付金」を支給されないのは違法だとして不支給取り消しを求めていた裁判で、名古屋地裁の裁判長は6月4日、請求を棄却する判決を言い渡した、という出来事がありました。
この裁判でポイントになったのは、長年生活をともにした同性パートナーが「内縁関係」に当たるかどうかでした。
提訴していた男性は、殺害された男性と20年以上生活を共にし、一緒に親の介護をするなど、夫婦同然の生活を送っていたと言います。
私は知らなかったのですが、遺族給付金の支給対象には「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」と書かれていて、婚姻届を提出していない内縁関係のパートナーも含まれることが明示されているんだそうですね。
しかしこのカップルは、夫婦同然の生活を送っていたにもかかわらず、「男性同士」であることが理由で、支給が認められなかったのです。
争点は、「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に同性同士が含まれるかだったのですが、
裁判所は判決で、「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当するためには「同性間の共同生活が、婚姻関係と同じとみなすだけの社会通念が形成されていなければいけない」と指摘。
この「社会通念」ってどういう意味なのか?調べてみると・・・
社会一般に通用している常識または見解
人間社会の「暗黙の了解事項」の一つ
平たく言うと、
大多数の人が『当たり前』と思う事柄
ということで・・・裁判所は、社会一般の人たちがどう考えているか?ということに基づいて判決を下したということ。
「社会一般の人たち」からしたら私たちは当然少数派です。
社会一般にとって「当たり前」を具現している存在ではありませんから、
そういう意味で、「社会通念」に基づいて判決を出されると、少数派の立場の人たちにとって、もう勝ち目はないわけですよね・・・
多数派の意見が通るのは民主主義のあり方だとは思います。
なので、政治の世界、国会という場では、それによって物事が決められるのは理にかなっているとは思います。
でも「裁判」というシステム、つまり司法というのは、多数主義の論理に則らない、「正しいのかそうでないのか」「妥当なのかそうでないのか」というところを判断するための役割を負っていると私は思っています。
それを、「社会通念」という多数主義の考え方で判決を出すというのは、司法のあり方としてどうなんでしょうか。
という思いと・・・やはりまだ「社会通念」という考え方から脱却する、いや、その「社会通念」の仲間入りをするまで長い道のりになるのかなと思い、悲しくなったのです。
私もパートナーも同性なので、「夫婦」の夫と妻という生物学的な役割分担もジェンダー的な役割分担もなく、ただただお互いを必要とし、お互いに必要とされる存在として今まで一緒に生きてきましたし、これからもそうやって生きて行くことでしょう。
正直、同性同士でもこうやって穏やかに暮らしていけることにはほんとうに感謝しています。
それだけでも有難いことだよね、というのはやはり頭での思いであって、本当は、
「あなたたちの存在、ほとんど夫婦みたいなもんだよ」
って思ってもらえたら・・・ただそれだけで嬉しいんだなって。
もう、理屈ではないところですかね。
周りの友人たちはみんなそう思ってくれていると信じていますし、それだけでも本当に幸せなことだ思っています。
ですが、公的なところではまだ一度もそういうふうに思ってもらえないというのはやっぱり正直なところ、悲しいなと思います。
本当に、いつか、いつかね、こういう存在もそれこそ「社会通念」になって行く日が来ることを、ちょっと絶望感もありつつ、でもやっぱり期待し続けるだろうなと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。

