おはようございます。
私、けっこう前からZARDの曲が好きで、CDはかなり持っているんですね。
で、ふとした時に聴きたくなる。
独特の歌詞の世界観と、優しいような力強いような坂井泉水さんのボーカルが好きで、聴き始めるとやめられない。
2007年に、子宮頸がんで入院中に病院のスロープから転落して亡くなったと聞いた時、信じられないほどショックでした。
あれから13年。生きていたらどんな歌を言葉を紡ぎ出したのだろうと考えることもあります。
先日、彼女の歌詞の世界について特集した番組の再放送があって、たまたま見つけて見ていたんですね。
彼女が歌手になったきっかけは、ちびまる子ちゃんの主題歌のバックコーラスのオーディションだったそう。
その時に歌声が注目され、デビューするチャンスを手に入れたんだそうです。
デビュー曲の時から、歌詞を自分で書くことになり、とにかく言葉にこだわった、と言います。
彼女の死後、500枚もの”メモ”の存在が明らかになったんですが、ここにとにかく走り書きのように言葉がいっぱい書き綴られている。
頭に浮かんだ言葉、気になった言葉などすべてメモしていたのですが、きちんとしたノートのようなものに書くのではなく、その辺にある紙に書いていく。
そうやってその辺にある紙に書いてきた言葉が、歌詞にちりばめられることになったんです。
そして、歌詞にする時の言葉選びもとにかくこだわった。
「負けないで」という大ヒット曲があります。
この「負けないで」という言葉自体も絶妙です。「あきらめないで」とも「頑張って」とも違う。
そして、歌詞の中に、「最後まで走り抜けて」という言葉があります。
これも初めは「最後まであきらめないで」としていたのを、「最後まで走り抜けて」に変更しているんですが、
今思うと絶対に「最後まで走り抜けて」の方が、情景が浮かぶような言葉だし、背中を優しく押すようなメッセージとなっていると思います。
そうやって、言葉に本当にこだわって彼女が作り上げた歌詞は、人に寄り添うような、情景が浮かぶような、優しくもどこか力強いメッセージに溢れています。
今、SNS上での誹謗中傷が問題となっています。
一人の若い女子プロレスラーが、SNSでの誹謗中傷が原因で命を絶つという悲しい事件が起きました。
心無い、悪意に満ちた言葉は刃のように人を傷つける。
文章というのは、表情が見えない分、その言葉がまっすぐに人に向かってしまいます。
私も昔、ちょっと仲たがいというか、私に非があったのかもしれないことで、その当時仲良くしていた人からとってもきついメールを受け取ったことがあります。
そのメールは、非難の言葉に溢れていて、それを読んだ瞬間、涙が止まりませんでした。
そこまで私がその人を傷つけていたのか・・・という罪悪感もありましたが、あそこまで直接的に批判され非難されると、言葉がぐさりと心に突き刺さったようで、とても苦しく悲しく、立ち直るのにしばらくかかりました。
顔を見て直接言われる以上に、ぐっさり来たと思います。
言葉というのは、使いようによって、温かく優しいメッセージとなり、背中を押してくれたり、優しく包み込んでくれたりする。
ZARDの歌詞はまさしくそういうもので、彼女が紡ぎだしてきたメッセージは、私をはじめ、多くの人に今も寄り添い続けています。
でも、そこに悪意を込めると、刃となり人を傷つける最悪の武器になってしまう。
自分が使う言葉というものを、特に書く言葉というものを考えさせられました。
どんな場であっても、言葉を紡ぎ、どこか何か人の目につく場所に残す、ということは、読んでくださる方に何らかの影響を与えるということだからです。
私はできることならば、刃となるような言葉を残したくない、と改めて思いました。
たとえ直接誰かに向かうものでなくても、誰かを傷つけるような武器として言葉を使いたくはありません。
ZARDの坂井泉水さんが残してくれたような、温かかったり力強かったり、そんな言葉を紡げる人になって行きたいと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。

