エフ・クラージュ 川崎由美子です。
日本でのコロナ感染拡大、まだまだ予断を許さない状況ですね。
「緊急事態宣言」が出されて3週間ですが、とても解除できる状態ではないような気がしています。
そしてこの「緊急事態宣言」ですが、どんなものかと思っていたら、「ロックダウン」など強制力を持った政策を行っている諸外国に比べると些か拍子抜けしたのは否めません。
そもそも「強制力」を伴う法律はわが国にはない、ということを初めて知りました。
やはり、かつて軍国主義、全体主義に走り、権力というものが内外に甚大な被害をもたらしたという過去も起因しているのかなと思います。
それはそれで、本当に喫緊の「有事」が起きた時はどうするんだと思わなくもなく、その辺りはもっとスピーディに物事を決めことを運べるようなことができないといけないのでは?とは思いますが、
中国のように、とにかく強権的手法で統制されること、というのは国民として、文明社会に生きる人としてどうなのか?と思わなくもないのです。
確かに一党独裁で強権的手法が取れる国は、何かあった時に中央が決めた決定を即座に実行できるというスピード感は半端ありません。
そしてやり方も強固であるため、コロナの封じ込めも早々と実現し、今や経済の再開ができるまでになっています。
しかしその代わり、人の権利、自由というものは二の次です。
「政府の決定は絶対」であって、そこに個人の自由や権利が入り込む余地は皆無です。
国民には自由を制限する代わりに責任はすべて国家が負っています。
なので、何か失敗をすれば国家が転覆してしまう可能性というのもはらんでいます。
それが、独裁政治であり全体主義である、ということ。
我が国日本はどうかというと、今の日本は独裁ではなく全体主義でもなく、民主主義国家です。
民意によって政権が選ばれ、国民にはいろんな自由や権利が保障されている。
それがゆえに、政策が決まるスピードは中国などに比べると当然遅いです。
その上、これは我が国特有なのかもしれませんが、何かを決める時あちこちに「根回し」をしたり、各所と「調整」を図るといった政治傾向がありますから、民主主義のほかの国と比べてもさらにスピード感がない。
首相が2月27日に「突然」全国一斉休校を表明した際に、「十分な調整なしでの決断」と反発を受け物議をかもしていましたが、それもこういう政治的傾向があるからなんですね。
そういうデメリットはあり、特に有事の場合、このスピード感のなさが命取りになっているように思えて国民の批判も多いのは事実です。
でもその代わり、国民には「自由」がある。
あくまで外出自粛要請であり、強制ではない。
パチンコ店も、お上に休業を強制させる権限はなく、営業する自由があります。
でも、自由には責任が伴います。
独裁国家では国民に自由はないが、国民は責任を負う必要がない。
でも民主国家では、国民に自由はあるが、行動の責任もまた国民にあるのです。
そして守られるべき人権というものもあります。
このような自由や権利を守るためには、自己中心的な行動、また差別的な行動をしない、という責任が問われてくる。
有事であるが故、なおのこと他を思いやれるかどうかという良識、良心、そして有事であるということを自覚した行動を取れるかどうか?という責任の上に、自由は成り立っているのです。
私が中学生だった頃、校内暴力が激しい時代だったためか、校則はそれはそれは厳しいものでした。
髪型も髪の長さもスカート丈もすべて測られ管理されました。男子は全員丸刈りでした。
息が詰まりそうな日々で、何か鬱屈したものをずっと抱えていたように思います。
しかしその後入学した高校はとても自由な校風で、制服はありましたが、着る着ないは自由。
どんな格好で行っても文句は言われない。
授業前のホームルームすらありません。
多くが生徒の自主性に委ねられる学校でした。
それは、学校が我々生徒を信用していなければ成り立たないことでしょう。
厳しい校則を作って縛り付けるのは、生徒を信用していない、そして管理しないと物事がうまく運ぶはずがない、という価値観が根底にある。
それは国家のあり方にも言えること。
私達は管理されなければ何もできない国民などではないはずです。
責任と良識ある大人として行動を取れる国民であるためにも、今いいちど、「自由」の意味を考える必要があるのではないでしょうか。
本日もお読みいただきありがとうございました。
エフ・クラージュ
川崎 由美子

