エフ・クラージュ イメージコンサルタント川崎由美子です。
最近モーツァルトを毎日のように聴くのですが、モーツァルトが作ったオペラの中に「フィガロの結婚」というのがあります。
その中の曲もよく聴いているのですが、ふと、「結婚」という言葉で思い浮かんだ、「結婚したら幸せになれる」という言葉。
結婚式でも、
「幸せになってね」
と多くの人は新郎新婦に言うものです。
では、「幸せ」とは一体何なのか。
「幸せ」で思い出すのが、パートナーが10数年前に言った言葉です。
私とパートナーは同性愛者同士のカップルです。
17年ほど前に出会い今に至っているのですが、今のようにまだ一緒に住んでいなかった頃、お互いの家を行き来していました。
とある週末は私の家で過ごしていて、近くのスーパーに買い物に行った時のこと。
ちょうど春先か何かだったと思います、スーパーのフードコートで季節ものの桜のソフトクリームを売っていました。
おいしそうだったので、食べて帰ろうということになりました。
そして小さなフードコートの片隅に座って二人で桜のソフトクリームを食べていると、パートナーがふと、
「幸せだなあ」
と言うのです。
その言葉になんだかほのぼのした私でしたが・・・
あとで聞いたところ、自分でも驚いたのだけれど、あの時初めて「幸せ」とはどういうことかわかったと言います。
彼女も同性愛者なので、自分がそうとわかった時、誰か男性と出会って結婚して家庭を持って・・・という「人並みの」幸せというものは得ることはできないと悟ったと言います。
私は幸せにはなれない人間なのだと。
だから、幸せにはなれなくても、最大限マシな人生を送れたらそれでいい、そう思ってそれまで生きて来ていた。
ずっとそう思っていたのに、「幸せ」と感じた自分がいる。
そうか、幸せって、こうだから幸せ、みたいに何か形あるものでそうなるというものではなく、自分がただ感じるものなのだとその時に気づいたのだそうです。
きっと多くの人は、何かを得られれば幸せになれる、と思っていると思います。例えば、
誰か素敵な人と出会えたら
結婚できたら
お金持ちになれたら
仕事で成功したら
いい暮らしができたら
やりたいことが見つかったら
など、「何か」を手に入れることができたらきっと幸せになれる、と思っているんじゃないかと思います。
実際私も昔はそう思っていました。
子供の頃、小さな文化住宅住まいだった私の家族。
大きなおうちに住んでいる家族を見ると、きっとあの人たちは幸せに違いない、と思っていた。
でも今考えれば、家の大きい小さいなんて関係なかった。
今の私が考えると、当時の私はとても幸せな子供だったと思います。
両親が一生懸命愛を持って育ててくれていて、裕福ではなかったけれど、子供が喜ぶことをいろいろやってくれましたし、とにかく子供らしい子供時代を送らせてもらえたので。
子供だった私は、それを幸せと感じる力がまだなかっただけなんじゃないかとね。
だから私も思うのです。パートナーの言う通り、
「幸せというのは得るものではなくただ感じるもの」であると。
そして実はどんな境遇、どんな状況であっても、幸せというのは得ることができると思うのです。
なぜなら、ただ感じるものだから。
そして感じる力さえあれば、幸せなんて日常に転がっていますよね。
私は最近、モーツァルトが聴けるだけで幸せな気分になります。
そしてきれいな雲と空の景色が見られたらそれもまた幸せな気分になる。
とっても気分が上がるコーディネートが出来上がった時も幸せですね。
あと、美味しい食べ物を食べておいしいと感じる瞬間も本当に幸せです。
毎晩食べているリンゴが美味しいだけでもすごく幸せを感じます。
夜、ベッドに入って布団に潜り込む瞬間も実はかなり幸せです。
なので今も日々自分がけっこう幸せなんだなと書いてて実感しました。
意外と普通の日常に「幸せ」って転がっている。
幸せを感じる力さえあれば、特別な何か、今持っていない何かを得る必要もなく、毎日幸せになれたりするものです。
「幸せになりたい」と思うならば、幸せを感じる力をつけるだけでいいんじゃないでしょうか。
幸せを感じる力は、心が嬉しい、楽しい、感動する、という瞬間をただ意識するだけつくと思います。
そしてそういう瞬間を増やすことです。
実は人はみな幸せなのです。
自分が感じるか感じないか、それだけの違いです。
そして日々「幸せ」を感じながら生きていけたら、それがまさに幸せな人生、ということになりますね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
エフ・クラージュ
川崎 由美子

