おはなしの語りと絵本を楽しむ会&ディスカッション
この会の開催を決めたのは、「言葉」の使い方が難しいのをとても実感していたからです。
自分も過去にそうだった時期があります。
ほとんどの方が、否定言葉をとてもよく使います。
それも、本当に自然に・・・。
彼氏、夫、子供・・・・この重要な関係で、この「否定語」をどのように使っているかというと・・
「やってくれるっていったじゃない」
「どうせ、やらないくせに・・」
「できるっていったのにやっぱりだめだったじゃないの」
「そんなこと言ったらだめよ」
「あの人はできるのに、なんであなたはできないの?」
「いやなことはいやっていわないとずっといじめられるのよ」
「あなたはあんなことはしないでね」
書き始めると果てしなく続きます・・・。
私も母親にこれに近い言葉を言われてきました。(本人には悪気がないのはわかっているのですが・・・)
このような言葉はあたりまえになってしまうと、これが相手を否定している言葉だとはなかなか気がつきません。
そして、これを自分も使わないように・・・・と思い決意するのはとても難しいものです。(なぜなら教えられて来た言葉使いが普通の言葉だと思いこんでいるから・・・)
何度も何度も言い直し・・・、そして、そのうち元の言葉使いに戻ってしまい・・・。
という感じで、言葉の根本的なところに納得いっていないので、難しいのです。
今回「おはなし語り」を開催したいな・・・と思ったのは、この「おはなし語り」を実際聞いた時に、「ことば」「言葉」のイメージがすっと入ってきて、「ことば」をこのように使えばいいのか・・・・というのが腑に落ちたからなのです。
思えば子供の頃、壁に突き当たったり、孤独な時もなんとか乗り越えてきたのはこの「おはなし語り」だったのではないかと思ったのです。
あの、こどもの頃の無限の気持ちを思い出したからです。
私は小学校の頃によく語ってもらっていたのが「シナの五人きょうだい」
もちろん、読んでもらっていたのは日本語の本です。

一時、「シナ=支那」という言葉が差別用語ということで、発売が禁止されていたんですよね。
「ちびくろ・さんぼ」と同じですね。
(大人の試行錯誤は絵本にも反映されます。)
その時、ほしかったのですが、日本語版がなかったので英語版を求めました。
今は出版されています。
この「シナの」を私は「信濃」だと勘違いして聞いていました。
「信濃五人兄弟」私は長野県に住んでいて、4人の姉弟の兄弟でしたので「私」の話だと思っていました。
その話を、何度も何度も聞くのが好きでした。
なぜか、この話を何度も読んでくれた教頭先生がいたのです。
その楽しさは今でも心に残っています。
子供の頃にこうした楽しい体験をした方は、今、おはなし子供にそれを伝え、「ことば」にも気を使われていると思います。
講師のみわさんも初めて「おはなしの語り」を聞いたときは、自然に引き込まれるように
そのおはなしの主人公になって、冒険してたそうです。
以下みわさんからのメッセージです。
私が初めて「おはなしの語り」を聞いたときは、自然に引き込まれるように
そのおはなしの主人公になって、冒険していました。
これは、大人では珍しい方かもしれません。
後で聞いた話では、他の方は、初めておはなしを語りで聞いたときには、
聞くことで精一杯、ストーリーを理解する作業だったようです。
私がおはなしを語るようになるのは、この体験もあり、他のおはなしも聞きたかったから。
『こんな面白い体験を、子どもの時にたくさんしたかった』という個人的な希望もありました。
何度聞いても面白いのは、日本や世界の昔話ですね。
日本では、はなさかじい・ふしぎなたいこ・ならなしとり・三枚のお札などなど。
世界では、グリムのおはなしがけっこう面白いです。
他にもジャマイカ島の「アナンシと五」とかウクライナの「びんぼうこびと」とか他いっぱい。
あまりにもたくさんあって、私がまだまだ聞いたことのないものもたくさんあります。
基本的に、昔話は誠実で真実があり、夢があります。
よくありがちな教訓や説教じみた大人が薦めるおはなしは、子どもは好まないんです。
きっと、子ども達には「良いことと悪いこと」なんて大人にいわれなくても知っているから。
今日も出張おはなし会で、小学3年生の授業時間を使ってのおはなし会をしてきました。
私は『なまくらトック』(ジャマイカ島の昔話)という、面倒くさがりの女の子のおはなしを語ってきました。
子どもが共感してくれるおはなしのひとつです。
耳で聞く「おはなし」にはいろいろな想像力が意識の深いところから、癒しをおこします。
そうして、自分の心の滞りを解決していきます。
その体験をしにきませんか?
おはなし語りと絵本を楽しむ会&ディスカッションの参加申し込みはこちら
この会の開催を決めたのは、「言葉」の使い方が難しいのをとても実感していたからです。
自分も過去にそうだった時期があります。
ほとんどの方が、否定言葉をとてもよく使います。
それも、本当に自然に・・・。
彼氏、夫、子供・・・・この重要な関係で、この「否定語」をどのように使っているかというと・・
「やってくれるっていったじゃない」
「どうせ、やらないくせに・・」
「できるっていったのにやっぱりだめだったじゃないの」
「そんなこと言ったらだめよ」
「あの人はできるのに、なんであなたはできないの?」
「いやなことはいやっていわないとずっといじめられるのよ」
「あなたはあんなことはしないでね」
書き始めると果てしなく続きます・・・。
私も母親にこれに近い言葉を言われてきました。(本人には悪気がないのはわかっているのですが・・・)
このような言葉はあたりまえになってしまうと、これが相手を否定している言葉だとはなかなか気がつきません。
そして、これを自分も使わないように・・・・と思い決意するのはとても難しいものです。(なぜなら教えられて来た言葉使いが普通の言葉だと思いこんでいるから・・・)
何度も何度も言い直し・・・、そして、そのうち元の言葉使いに戻ってしまい・・・。
という感じで、言葉の根本的なところに納得いっていないので、難しいのです。
今回「おはなし語り」を開催したいな・・・と思ったのは、この「おはなし語り」を実際聞いた時に、「ことば」「言葉」のイメージがすっと入ってきて、「ことば」をこのように使えばいいのか・・・・というのが腑に落ちたからなのです。
思えば子供の頃、壁に突き当たったり、孤独な時もなんとか乗り越えてきたのはこの「おはなし語り」だったのではないかと思ったのです。
あの、こどもの頃の無限の気持ちを思い出したからです。
私は小学校の頃によく語ってもらっていたのが「シナの五人きょうだい」
もちろん、読んでもらっていたのは日本語の本です。

一時、「シナ=支那」という言葉が差別用語ということで、発売が禁止されていたんですよね。
「ちびくろ・さんぼ」と同じですね。
(大人の試行錯誤は絵本にも反映されます。)
その時、ほしかったのですが、日本語版がなかったので英語版を求めました。
今は出版されています。
この「シナの」を私は「信濃」だと勘違いして聞いていました。
「信濃五人兄弟」私は長野県に住んでいて、4人の姉弟の兄弟でしたので「私」の話だと思っていました。
その話を、何度も何度も聞くのが好きでした。
なぜか、この話を何度も読んでくれた教頭先生がいたのです。
その楽しさは今でも心に残っています。
子供の頃にこうした楽しい体験をした方は、今、おはなし子供にそれを伝え、「ことば」にも気を使われていると思います。
講師のみわさんも初めて「おはなしの語り」を聞いたときは、自然に引き込まれるように
そのおはなしの主人公になって、冒険してたそうです。
以下みわさんからのメッセージです。
私が初めて「おはなしの語り」を聞いたときは、自然に引き込まれるように
そのおはなしの主人公になって、冒険していました。
これは、大人では珍しい方かもしれません。
後で聞いた話では、他の方は、初めておはなしを語りで聞いたときには、
聞くことで精一杯、ストーリーを理解する作業だったようです。
私がおはなしを語るようになるのは、この体験もあり、他のおはなしも聞きたかったから。
『こんな面白い体験を、子どもの時にたくさんしたかった』という個人的な希望もありました。
何度聞いても面白いのは、日本や世界の昔話ですね。
日本では、はなさかじい・ふしぎなたいこ・ならなしとり・三枚のお札などなど。
世界では、グリムのおはなしがけっこう面白いです。
他にもジャマイカ島の「アナンシと五」とかウクライナの「びんぼうこびと」とか他いっぱい。
あまりにもたくさんあって、私がまだまだ聞いたことのないものもたくさんあります。
基本的に、昔話は誠実で真実があり、夢があります。
よくありがちな教訓や説教じみた大人が薦めるおはなしは、子どもは好まないんです。
きっと、子ども達には「良いことと悪いこと」なんて大人にいわれなくても知っているから。
今日も出張おはなし会で、小学3年生の授業時間を使ってのおはなし会をしてきました。
私は『なまくらトック』(ジャマイカ島の昔話)という、面倒くさがりの女の子のおはなしを語ってきました。
子どもが共感してくれるおはなしのひとつです。
耳で聞く「おはなし」にはいろいろな想像力が意識の深いところから、癒しをおこします。
そうして、自分の心の滞りを解決していきます。
その体験をしにきませんか?
おはなし語りと絵本を楽しむ会&ディスカッションの参加申し込みはこちら