またまた少し時間が空いてしまいました。
今夜少し時間がとれたので。。
カラフルKが今に至るまで
の続きです
ある会社から、伝説を生み続ける人気ブライダル雑誌の
コーディネーターを引き受けてもらえないかと頼まれて、
私は心弾む気持ちでお引き受けしました。
その時期は、専門校の色彩学講師やブライダルプロデュース科の
立ち上げを依頼され、カリキュラム作りから講師までを一貫して
務めていました。
また一方で
ウェディングパーティーをするための大型クルーザーの
コーディネートも、横浜のホテルさんと一緒に行なっていた
時期でもあり、非常に忙しい毎日でした。
「仕事がない」という経験をした私は、頂けるチャンスは
全てこなしたいと強く思っていましたし、状況がどうであれ
「出来ません」とお断りする前に、出来る限りの精一杯の
事をしたいと思っていました。
同時に、まだまだ前例のない仕事が多かっただけに、
手探りでありながらも失敗出来ないということも
常に意識していました。
ほどなくして
ブライダルの会場コーディネートのための関係者が
一同に介して顔合わせを行ない、私の役割がクリアに
なりました。
東京の老舗ホテルの7つの会場に対する、それぞれの
テーブルコーディネート
装花
ウェディングケーキのデザイン
ウェルカムボードのデザイン
を、コストパフォーマンスも含めて
一週間で、提案すること。
という事でした。
つまり、プレゼン資料も含めて毎日1つの会場を
完成させるという事でした。
デザインや色に関してはともかく、私にとっては
装花の部分が、初めての分野でしたから、コストも含めて
最大の難関でした。
でもそれが不思議なんですよね。
その当時の私は、日本で初めてフラワーとバルーンを
組み合わせたコーディネートを確立させた第一人者の
女性と出逢い、親しくさせて頂いていました。
(こちらの画像とその彼女が立ち上げに関わった会社は
無関係です。。)
その彼女が全面的に協力してくれて、私がデザインを
考える度に、花の性質や見せ方、季節やコストの問題を
共に監修し、サポートしてくれました。
彼女はその後海外へとわたってしまい、お会いする機会も
なくなってしまいましたが、いまもその会社は最大手
としてあるようです。
そして私は一週間、通常の仕事の合間に、ほとんど眠る間も
惜しんで7つの会場のプレゼン資料を作り続けました。
疲れるとか、つらいという感覚は不思議と全くなくて
とにかくワクワクしていました。
1週間があっという間に過ぎて、プレゼン当日を迎えて、
関係者と短い打ち合わせをした際に、その時の7つの会場の
提案に対するコンセプトと合わせて、数ページにわたる特集の
タイトルを伝えました。
しかしながら、タイトルはすでに、
その雑誌担当者Aさんが考えて来たとの事で、
提案内容とは無関係の当時、流行っていたドラマの
タイトルをもじったテーマ名にするとのことでした。
当時、このタイトルを聞いたら、そのドラマを
思い浮かべない人はいないというくらいに
誰が聞いても、Aさんの考えたタイトルを聞いたら
高視聴率をとっていた話題のドラマからヒントを得た
と、わかるものでした。
逆に、私が提案した内容が、そのドラマのイメージに
なってしまうのは抵抗がありましたが、
ページを大きく飾る見出しは担当者が決めたい
という気持ちは分からなくもありませんでした。
ところが、このタイトルの提案が
このあとの流れの全てを大きく変えてゆく事と
なったのです。
その日、
ホテルの関係者の方々が揃った席で、私は
コーディネーターとして7会場それぞれのコンセプトと
具体的な内容を詳しくプレゼンしました。
その際に、ホテルの方々は全ての会場コーディネートに関して、
理解を示して下さり、とてもいいと思うとすんなり許可して
下さいました。
特にウェディングケーキを手がけて下さる
パティシエの方からは、
私のデザインしたケーキは全て再現したい
と言って頂き、とても新鮮だと褒めて頂きました。
その時に言って下さった言葉は、
ほとんど寝なかった1週間の緊張とプレゼンの不安を
一気に解消してくれました。
ご自分達も色々とケーキのデザインを考える中で、
私が提案した様なデザインは中々出て来ないと。。
何故なら、私がパティシエではない
(作る事を考えてない)から
こういった発想をするのだとおっしゃって、是非共、
7つのケーキ全てを作ってみたいと言って下さったのです。
7つの会場の提案は虹の7色になぞられて、
色のトーンを変えながら、それぞれが本当に生き生きと
仕上がっていたと思っています。
ただ、そこから全てが一変してゆきました。。
最後にこの全てのコーディネートを飾る見出しの
テーマ(ドラマタイトルをもじったもの)を
担当者のAさんが発表した際に。。
ホテルサイドから
「タイトルが納得いかない」と告げられました。
ドラマからもじっている事はもとより、企画内容との
関連も感じられなかったのではないかと思います。
「タイトルだけ、再考してくるように」
と・・
その時に関係者間のムードが一変した事を感じました。
雑誌関係者間の言葉の端々に、明らかに、
提案したAさんを責めるようなムードを感じました。
その時に
このプロジェクトはみんなで作り上げている訳ではなく
雑誌関係者にとっては、
個々がどれだけの結果を残せるかと、更に万一、
失敗した時には、誰に責任を課すのかという事が
常に頭にあるという厳しさを知りました。
その後、再考したタイトルも全てNGという事で
タイトルだけが中々決まらないまま、
撮影の為の準備だけが進められてゆき
いよいよ撮影を翌日に控えた深夜23時過ぎに
Aさんより電話が入りました。
翌朝早朝からの撮影の為の、待ち合わせ場所が
急に変更になったので、絶対に遅れない様にくるように。
と。
私は充分な時間をとり、待ち合わせ場所に行きました。
ところが、約束の時間を過ぎても、誰も来ませんでした。
そこへ昨晩変更の連絡をくれたAさんから電話が入り、
すぐにホテルの会場に直接来る様にと言われました。
慌てて、会場に行ってみるとそこには、
すでにホテル関係者も含めて私以外の全員が
スタンバイしていました。
そして、状況が呑み込めない私は、Aさんから
全員が揃ったその場で、
想像もしなかった言葉を聞くことになりました。
「コーディネーターがいないとはじまらないというのに
こんな重要な日に遅刻してみなさまをお待たせして
撮影が上手く行かなかったらあなたのせいだからね」
と。
その時、初めて私は、何が起きたのか状況を
理解しました。
今思えば、当時の私は、まだそういった事に対して
免疫がなく、ただ驚いて言葉を失っていました。
それでも撮影は数日にわたり続き、私の提案は
忠実に再現されて仕上がってゆくという
感動の一方、その間もとても孤独でした。
それでも、この撮影が終わるまでは、
気持ちよく明るい気持ちでやり遂げようと
決めていました。
最後の会場の撮影が終わり、拍手が起こった時に
感動と、気が抜けた事で涙がでたことを覚えています。
そして帰り際に、Aさんから次の仕事を
今夜中に大至急提案して欲しいと言われました。
ホテルの宴会場の柱を逆に活かす事が出来るような
提案。
そこにビュッフェの料理を並べたいので、見せ方を
提案して欲しいと。
大掛かりだった撮影をいま終えたばかりなのに
今夜中?
と思いましたが、やってみようと思いました。
なんだか、撮影後で少しハイになっていたのか、
出来る様な気がしたのです。
実際にも、色々とアイデアが湧いて、自分でも
「これすごくいい!!」と自画自賛して
その日の深夜提出しました。
すると、翌朝、
「全く話にならないのでボツ」であると
連絡が入り、肩を落としました。
そして、それから2ヶ月ほどたった頃。
たまたま、そのブライダル雑誌を、
他の仕事で開いた時にそこには、私が提案した
柱周りのコーディネートが掲載されていました。
目を疑いましたが、一方で世間知らずな自分にも
呆れました。
そして、これが
人を介して頼まれて、私自身が引き受けておきながら
辞めたいと言った、初めての仕事となりました。
それでも、この経験は私にとっては様々な意味で、
貴重な財産であり、他の仕事をしながら
1週間で7つの会場を企画提案出来たという自信は
この後、
「あれが出来たんだから、なんだって出来る」
という基盤作ってくれました![]()
またまた長くなりましたね。。
今回はちょっとヘヴィでしたね。。。
最後まで読んで下さったかた
ありがとうございます。。
まだこの頃、オーラソーマとは出会って
いなかったような気がします。。
これから開講予定の講座スケジュールは
Love
Satya






