「このしんどさは、
         どうすれば楽になるのでしょうか?」

   
  私の場合、
  障害のある長男を授かって
  次男が不登校になって
  自分の心が壊れて…

  いやいやそれはあくまで
  三大事件であったに過ぎず、
  正直数えきれないくらいこの言葉を呟きました。
    

  でも、誰に向かってその答えを求めたのか?
  はい、覚えていません。

  文字通り「呟いた」のです。

    
    
  ある意味それは、
  答えを尋ねる相手が居なかったという
  孤独な現実が顔を覗かせるなぁ、
  とも受け取れます。


  でも誰かにその答えを期待したとして、
  もしそれが自分の意とずれていたとしたならば…
  その通りにやってみたけれど
  結果が伴わなかったとしたならば…
  誰かのせいにする事で
  更に辛さが増幅しかねない。
    

  それならば自分を信じて、
  自分の力でやりこなしていく方が早いし
  他人との余計なしんどさの種を作らなくて済む
  と思ったのが長男が生まれた当時の私でした。
    


   結局、私が嘘偽りの無い思いを語り、
   これからどうしていけば良いのか?
   遠慮なくいつでも相談できる存在を
   得られなかった、
   自分の悲しい言い訳でも
   あるようにも思えますが。



   でも、もっともっと自分の感情を
   突き詰めていくと、


   本当に辛くてどうしようもない時、
   それを誰かに話す事さえもしんどい。

   自分の狭い視野の中でだけ堂々巡りする
   思考回路から抜け出せないからこその苦しみ。

   そんな時に誰の言葉も耳に届かず、
   自分の心の声しか聞こえない状態。

   まさに、
    「私の辛さなんて誰にもわかる訳がない!」

    となっているのでは? 

    私はそれを何度も経験してきたように
    思います。

    だからこその「呟き」なんでしょう。



    次男の時も自分の時も
    まさに同じ状態でした。

    とにかく辛さ苦しみにどっぷりと浸かって
    底なし沼に溺れそうになるところを
    自力で何かをつかまえようと必死でした。

    そして命拾いした後は
    その底なし沼の計り知れない底辺から
    次第に土壌を固めていく為の努力を
    コツコツと始めていきました。
       

     
    私の場合それが今の「箱庭」や「サポート」
    の学びへと繋がっていったわけですが…


    私がそこで感じたことはというと、

   「誰かに話を聞いて貰いたいと思い
     カウンセリングを受けるという行動に出た時
     自分の苦しみの原因とその解決の方法は既に
     自らわかっていたように思います。

     それをカウンセラーとの会話の中で
     言葉として私が私から受け取った
     ようでした。
     そして話せば話すほど、
     更なる気づきを得ることができていきました」

        


     長々と書いてきましたが、
     結局何を言いたいのかというと、

   「自分のしんどさを解決や緩和に結び付ける
       方法は、自分にしか見つけられない」

     のではないかということです。
       
     ただしその過程は、
     先の見えない長丁場になるかもしれませんし
     意外にするっと早いかもしれません。

       
     肝心なのは、

     焦らないこと
     じっくり取り組むこと
     想像力を豊かにすること
     色々な方向からものを眺めてみること
     情報を集めること

     そして、
     自分の考えを話せる信頼できる人物を
     見つけること

       


     あくまでも私の実体験からの
     今の思いです。

     賛否両論あるでしょうが、
     こんな人もいるんだと思って貰えたら
     有り難いです。