しばらく間があいてしまいました。

というのも、少し身体に心配があり
色々悩むのもこれまたしんどいので
思い切って大きな病院に行ってきました。


身内の誰かの付き添いという以外
自分の身体の為に出向くのは
心療内科以外は正直久しぶり!

もう若くはない、
ストレスに散々晒されてきたと
思い込んでいる?実感している?自分の身体。

何かあってもしょうがない、
受け入れて前向きに!なんて踏ん張ろうと
しても、
数々の検査に回った後の血圧と脈拍の数値からは
緊張は明らかに隠せていないわけでして…(笑)


大きな病院の待合空間、
私の場合、障害を持つ長男が生まれてからは
ずっと寄り添いともに待つ為にありました。


しかし今一人で自分の為に
長い時間を過ごしてみると

自分が多分の患者さんの年齢層に入りかけたのだ
という、何となくの受け入れ難さ・違和感(~_~;)
から始まり、

自然に漏れ聞こえてくる病気に関する会話
が当たり前になっていき、
高齢のお母様の車椅子を押す白髪の息子さんの姿に
自分を重ねてみたり…

何気なく隣の人から話しかけられ
自分語りをして聞いて貰い
また人の話を聞き、

病院のシステムが分からなくて困っていると
知り合いのように声をかけてくれて、
自然発生する労わり合いが心地良かったり…


そこには私が今まであまり接してこなかった
病院という特殊な空間の一面があり、
年齢を重ねた人達が病に向き合う同士のような
そんな感じさえ覚えました。


人は表には出さないし見えないけれど
何かしらしんどいものを抱えて生きてきてるんだな。

待合椅子に座る人達の後ろ姿は
言葉にならない悲哀を語っているようでした。


ただ一つだけ気になったこと❗️
実はこれを書きたくてキョロキョロ
特に病院だっただけに余計に思ったこと。

初めて会った人と話した場合
辛かった内容を聞いたとしたら
「しんどかったですね。大変でしたね」
「でも頑張ってすごいですね!」と、共感するか、
自分も同じ意見だと同意するかまでで
止めておくことが大事ですね。


年齢が上だから、人生経験豊富だから、
色んなケースの人を知っているからという理由で
こうすれば良いとアドバイスしようという方の
気持ちはとても有り難いことではありました。


しかし初めて会って、
その人の人生を少しの言葉で
ほんのちょっと掠っただけで、
一体何がわかるというのでしょうか?

例え時間をかけて
その人の背景にある全ての事を知ったとしても、
その人と同じ感情を味合うことは
絶対にできないはずです。


だから、
「それくらいならまだいいよ。もっとしんどい人は
沢山いるんだから」

何がどういいのか?
こうなるまでの道程を知ってますか?

確かに世の中には様々な人がいます。
でもしんどいことって、比較するものですか?
何をもって比較できるのか?その基準は何ですか?


そして、
「障害のある子は
ちゃんと親を選んで生まれてくるというよね」

その話は何度も耳にしました。
でも実際に子育てしている時期は必死で
そんな言葉は気休めにしかなりませんでした。
きっと同じ経験をした方にはわかっていただける
のではないかな?と思いますが。

その言葉は後々になって理解できていければ
幸せなんだろうと思ってます。



しかし前向きな方向で言えば、
私はサポート&箱庭セラピーの仕事をしている
立場として、
これ程勉強になったことはありませんでした!

自分の視野、価値観からのアドバイスは
一つ間違えれば相手を酷く傷つけてしまいます。


私も身体のしんどさでついつい話を聞いて貰って
おきながら、
こんな事を言ってしまうのは忍びないのですが、
やはり大切な事だなと思いますね。




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ベリーベリーサイダー❣️