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放送大学の3年生に編入学してから、
ちょうど4年目。
認定心理士の資格を取得したくて始めた通信大学での勉強は、
次男の不登校と受験で頓挫すること二回、後1年で猶予切れキョロキョロ


初めに心理学の勉強をしたいと考えたのは、長男のような障害を抱えた子供を持つお母さん達の何か役に立ちたいという気持ちから。
そしてその中で「箱庭療法」に出会ったのです。



そしてその後すぐ
その中身に不登校が加わり、
「同じ苦しみで悩んでいる誰かを助けたい」思いが強くなり、
これとは別にカウンセリングを学びました。



その頃の自分を今振り返ってみると、
「誰かを助けたい」為に吐き出していた
言葉は、
自分が様々な困難を乗り越えてきた自負心
から来る「叱咤激励」という名の
「もっとこうすればいいのに」
「もっと頑張らないと」という
更なる課題をクリアする事への
追い込みのようなものでした。

私はこんな風にしたんだから、
あなたもこうしないと駄目なんですよと。


違いますよね~ガーン





かつて悩み真っ最中の頃の私は、
何か変だな、おかしいぞ、しんどいぞ!
と感じていても、
自分の頑張りが足りないんだという思考に
すり替えてしまって、
徐々にどん底に落ち込んでいきましたびっくり


そんな時、
「誰かに相談する」という発想は
逆に出てこないものです。
話す気力が湧かない感じもあるし…


きっとそれは、
「私の苦しみを理解してくれるのは、
同じような体験をしたことがある人でない限り無理だ」
との決めつけと、

「もっと大変な人は沢山いる」
と、悩みやしんどさの度合いを比較され
てしまうのは嫌だという気持ち。


で、結局長い時間
1人で模索し続けてわかったのは、


自分の心は自分にしかわからないし、
変えられるのも自分だけ。

誰かからのアドバイスや文献は
参考にはなっても
そのまま自分に当てはまるとも限らない。
でも視野は広げられる。

困難にぶち当たるのは、
沢山のヒントを得て
真摯に自分に向き合ってみる必要性が
その時の自分にはあるからじゃないのか?
と。


そしてやっと人に話す事ができるのは、
自分でもがいて、あがいて、
七転八倒して考えて、考えて、
何となく光が見えかけた頃かな…


その自分の出せかけている答えに対して
共感してもらいたいという欲求が、
誰かに話を聴いてもらいたい行動を
起こさせるんじゃないかと
思えるんですね。



うん、だから私はその話をできる
誰かになりたいと、
今凄く思っています。


そのままの感情を良し悪し関係無く
無条件に受け止めて
共感する術をもっと学んでいきたいです。






うわぁ~❗️
長過ぎました

最後まで読んで下さった方、
ありがとうございましたm(__)m