こんにちは。高橋ゆりこです。
昨日ね、久しぶりに「過保護のカホコ」についてのご質問をお寄せ頂きました。
懐かしい~。
色んな方にもヒントになるかも?って思ったので、シェアしますね。
頂いた質問はコチラ。
カホコの第6話を見ててちょっとあれ?って思ったのでお聞きします!
カホコが買い物にいったスーパーで教子おばさんに会うシーン。
2人の会話がこんな感じでした。
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教子
「小さいころから親とか兄弟とかどうでもいいんだよね。血縁関係ってだけでなんでこの人たち愛さなきゃいけないんだろうって。 子供でも産んでりゃ、家族に愛情わいたのかもしれないけど。 こんな自分じゃダメだと思っていろいろやってみたんだけどね、私も。でも結局家族の迷惑になるだけで、どうしようもないって感じ。」
カホコ
「もしかしたら教子おばさんとカホコって似てるのかなあと思って。」
教
「そう言われてみればそうかも。 (略) 大丈夫よカホコは。家族のこと大好きだし、私みたいにならないから。」
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どうして、カホコが『教子おばさんとカホコって似てる』って思ったのか。
こんな自分じゃダメだ、と色々やっても迷惑になる という所?
でも教子おばさんの返事を聞くと、違う気がする・・・と 疑問に思いました。
カホコは家族愛がすごいのに 教子おばさんは愛さなきゃいけない?と思ってる 2人が似てる?の意味がわからず。
「カホコは家族のこと大好きだし 私みたいにならないから」って言ってる教子おばさんの答えだと、似てると言ってるカホコに「そう言えばそうかも」って 答えてるのが合わなくなーい?と思っちゃいました。
ぜひゆりこさんの見解をお聞きしたいな〜と思いました♡
大好きなカホコについての質問をありがとうございます♡
教子おばさんと、カホコのどこが似ているのか?

カホコも、教子おばさんも、「変わりたい」と思ってる。
それも、家族に認められるために。
カホコは、
「自立できる自分になって、ママに認めてもらいたい。」
教子おばさんは、
「資格を取って自分にできることを見つけて、家族に認めてもらいたい。」
今の自分がダメだと思っていて、
そこから変わりたいと思っていて、
変わった自分を一番見せたいのは、母親。
だけど、カホコも、教子おばさんも、
認められたいと色々頑張るけれど、認められる結果にはならない。
それどころか、どんどん家族に迷惑をかける結果になってしまう。
2人とも全く一緒です。
似てるっていうか、同じですね。
一見、カホコは家族愛に満ち溢れていて、教子おばさんは家族愛に乏しいように見えるかもしれない。
でも、私は、教子おばさんも、家族愛に満ち溢れているように見えます。
愛の形は人それぞれ。
教子おばさんの「愛するの定義」が偏っているんだと思う。
教子おばさんがイメージしている「愛する」が自分にできてないと思っているから、「私は家族が愛せていない」って思うだけ。
教子おばさんは、家族を愛してるって、私は思う。
家族を愛しているから、愛せない自分が苦しい。
家族の役に立たない自分がダメだと思う。
だから、変わりたいって頑張ってしまうんだと思う。
「愛するの定義」って本当に人それぞれで。
心配が愛だと思う人もいれば、過干渉が愛だと思う人もいるし、
束縛が愛だと思う人もいれば、自由が愛だと思う人もいる。
書ききれないくらい、愛の定義はそれぞれ。
だからね。
「愛せない」とか「愛されていない」と思っているとき、
それは、自分の思う「愛するの定義」に当てはまっていないだけ。
だったりします。
ちゃんとそこに愛はある。
あなたは、ちゃんと愛せているし、
あなたは、ちゃんと愛されてる。
あなたの「愛するの定義」は、どういう状態、どういう行為を指していますか?
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