凄く長いので忙しい方はスルーしてください。
実は昨夜目が冴えて昨日投稿した港のメリーさんのことを考えて投稿したんですけど、よく考えたらみなさま朝っぱらからこれ読むの嫌よね💦まして日曜日の朝に![]()
と、思ったので一旦投稿したのを下書きにして編集しております。
港のメリーさんとはわたしが若い頃横浜で有名な女性でした。
その姿は洋服から髪の毛、白塗りのお化粧と全身真っ白で口紅だけが真っ赤でした。
SNSのない時代ですら地元では知らない人はいないし、会えたら自慢してしまう、そんな方でした。浮浪者だとか娼婦だとか色々噂話はありましたがわたしは本当のことは知りません。わたしは四回くらいお見かけしましたけど芯の通った品すら感じるかっこよさを感じておりました。
港のメリーさんのことを思い出したら大野一雄先生を思い出しました。
映画に息子さんの慶人さんが出ているからかもしれません。
大野一雄公式ホームページはこちら
たぶんみなさま知らない世界ではないかと思いますが、わたしにはとても縁のある方でした。
実はわたし大学時代から社会人になって普通にOJしていた頃から映画やお芝居が好きで、大学では映画を作るサークルに入ってたりしてました。
その後趣味が高じて働きながら美術の専門学校へ通い、大学に再入学。プータローになった時があったんです。時間があったのでサークルの後輩と
映画を撮ることになり、そこで知り合った出演者のダンサーの女の子が大野先生のお弟子さんでした。
そこで初めて舞踏という世界を知りました。
舞踏というのは海外での方が有名で、当時も白塗りの怪しい踊りを踊るアングラな怖い世界と感じていたのですけれど、彼女の練習に付き合うととても美しい世界でした。
たまたま暇だったこともあり、彼女の舞踏の製作を頼まれて引き受けました。わたしには全く知らない世界。製作なんて初めてなのによく引き受けたものです。わたしも勉強してなんとか舞台は成功。(お客様が外国人が多かったのも驚きでした)
その時舞踏の世界につながりがもてました。
その後師匠である大野先生が横浜に住んでいたため、彼女は我が家に遊びに来るようになり、大野先生の息子の大野慶人先生と出会いました。
慶人先生はイケメンで優しくてその人柄が素晴らしくわたしも何かとイベントを手伝わせていただき、大野一雄先生が亡くなった時にはお弟子さんしか先生の死の床に近寄らせなかったのにわたしも呼んでいただきました。
慶人先生とはそれからしばらく親交がありましたが育児が忙しくなり今では先生の舞台の案内もなくなりました。大野先生が亡くなった時ですら慶人先生はお若く見えても70代でしたので元気なのか気になります。
大野先生は長生きされていて車椅子になっても舞台で踊っていました。その指先の美しさと壮絶な哀しみや愛の強さに驚いたことがあります。わたしは大野一雄先生の一番活躍されていた時代、きちんと舞踏をみていなかったのを後悔するほど。大野先生の世界は唯一の存在感を醸し出してました。
大野先生と出会うまえにリンゼイケンブのダンスを見に行ったことがありましたが、実はリンゼイケンブが大野先生をリスペクトしていたとか。
大野先生は何度かお話しもさせていただきましたが、さほど親しかったわけではありません。ただ優しくしてもらいました。大野先生は戦争時代、ニューギニア戦線で同志がどんどん亡くなる中生き残った話があまりに壮絶で、ああ、この人はその経験から人生を捧げて愛と平和へのオマージュを表現してるのだなと感じています。
メリーさんも大野先生も悲しい厳しい時代を生き抜いてらしたけれどとても美しく芯の強さや、人から何を言われようが自分を曲げない意志のようなものがそのスタイルに表現されていたのではないでしようか。
人生さまざま。人の生き方は真似るものでなく自分だけのもの。