この記事の最後の方にも書いたけど
 

 

さまから見たわたしたちは

 
可愛くってしょうがないはずドキドキ
 
 
 
っていうことが
 
父が亡くなってからリアルに感じられるようになってきました。
 
 
 
神さまとか、宇宙とかって表現すると
 
やっぱり実感が湧きにくかったのです。
 
言うても、見たこともなければ、会ったこともなければ、声も聞いたことないし
 
そういう大きな力が働いていることは
 
なんとなく信じてはいるし、たまにめっちゃ感じることもあるから
 
 
だから、そうなんだと
 
言い聞かせるように
 
忘れないように
 
そんな感じで思っていた気がする。これまでは。
 
 
 
けど、父が亡くなってからは、リアルに包まれている感覚とか、そばにいる実感があるからか
 
さらに
 
わたしは大きなものに見守られていて愛されている
 
という感覚が強くなってしまったの。
 
 
 
疑っていたわけではないんだけどね
 
忘れがちだったんよね〜
 
目の前に起こるあれこれに
 
心は揺さぶられちゃうし
 
よくないようなことが起こっている時に
 
やっぱり実態のないナニカを
信じるというよりすがるような心持ちだったのかもしれないです。
 
 
 
けど、その見守ってくれている存在が
 
もう圧倒的に知っていて愛されていることに一ミリも疑いのない父なんだから
 
その絶対感ったらなくって
 
 
そうしたら本当にまた
 
わたしのハートが世界に対して緩んだのを感じます。
 
 
 

 
 
 
そしてね、ハートが世界に対して緩んだら
 
もっと許してみようと思えるようになった。
 
 
なんかね見えてなかった側面が見えるようになっていてね
 
誰もが許して欲しいだけなんだなってことがわかり始めた。
 
 
 
みんな愛を求めている
 
って、その言葉じりだけの意味ではなくて
 
その奥にある
 
みんな許してもらいたいんだ
 
という感覚が手に取るようにわかり始めたんです。
 
 
 
それはわたしもそうだった。
 
 
わたしもずっと許されたかったんだ。
 
 
受け入れてほしい
 
 
許してほしい、なんだな。
 
 
 
さみしいのも
 
たくさん食べすぎちゃうのも
 
働きすぎちゃうのも
 
言いたいことが言えないのも
 
ヒステリーも
 
病気になっちゃうのも
 
 
そう
 
あれもこれも
 
人間という生き物の不調は
 
 
許されたい
 
気持ちから来ているのかもしれないと思った。
 
 
自分の存在のことを
 
ごめんなさい
 
って思ってる気持ちから
 
いろんな不具合は来るのかもしれないって思った。
 
 
 
 
それはきっと始まりは親だったりするんだけど。
 
 
わたしは特に父だったのですよ。
 
 
その父から
 
 
大肯定のうえ、大応援されてる感覚があるから
 
きっと許されたのだと感じているのかも。
 
 
 
だから、心に余裕が生まれだしたんです。
 
 
そして、人の許されたい気持ちに
 
前より少し寄り添えるようになっている。
 
 
 
前はできなかったの。
 
わたしだって許されたいのだから
 
余裕がないと、許せないことが現実で生まれる。
 
 
 
関係性の遠い人は許せても
 
甘えが生じる近しい関係の人に許せないが生まれていたりとか。
 
 
けど、前より少し
 
まだ、きっと少しなんだけど
 
許してみようと思える幅が広がっている。
 
 
自分から心を開いて
 
許してみようと思える。
 
先に許そうって思える。
 
ちょっと、損してもいいという感じにも似ている。
 
 
先に愛を出してみようと思える。
 
 
なってみて気づくのは
 
わたし、ケチやったんやなぁということ。
 
 
なかなかに性格は良い方だと思ってたのに 笑
 
結構、ケチんぼしてたな。
 
 
やばっ
 
 
 
せっかく手に入れたこの感覚
 
大事にしていこう。
 
 
わたしに根付くよう
 
大事にしていこうと思う。