最近のわたしの中でのテーマが「信じる」ということなので

 

そのことについて書いてみたいと思います。

 

 

 

 

信じる

 

 

信じるのには、なにか対象物があると思うのです。

 

 

 

例えば、ダレカのことを信じる

 

もしくはこうなって欲しいという未来を信じる

 

みたいな。

 

 

その人のことや、起こって欲しい未来について

 

今は見えないけれど

 

その信じている対象がもうすでにある感覚

 

もしくは

 

その途中経過である感覚

 

が、

 

今、ここで、感じられるから

 

だから信じるって思えるのかなって感じるのです。

 

 

 

信じるっていうより

 

信じているっていう、進行形のほうがしっくりくるかな。

 

 

 

わたしたち女性にはアワ(女性性)が多いので

そのアワの得意である

 

「なんか、わかる」

 

という能力があります。

 

 

根拠はないけど、そう思う、みたいな。

 

 

なにごとも、根拠を示すことや目に見える証拠を示すことに、価値ががある今の世の中で

 

この「なんか、わかる」という感覚は、ずっとないがしろにされてきました。

 

 

 

でもね、わたしたちのもつ、この「なんか、わかる」という感覚は

本当に大切にしてほしい感覚なのです。

 

 

で、その根拠のない感覚から

 

わたしたちはずっとダレカを、そしてナニカを信じてきた性なんですよね。

 

 

今のように見えないものを測定できる機器がなにもない時代から

見えないものを感じ取ってきた。

 

 

体の中に育まれていく命のことや

 

遠くにでかけてしまった愛する男のことや

 

刻々と移り変わる自然のこと

 

 

 

そんな「たしかでないもの」を「たしかに」してきたのは

 

アワのもつその感覚であり、それは祈りにも似た心だったと思います。

 

 

 

 

 

 

ただね、その「信じる」という感覚と似ているけど、ぜんぜん波動が違う感覚が

 

「渇望」と言われるもの。

 

 

それが欲しいというのは同じだけど

 

その心が「安心」から来ているのか、「不安」から来ているのかの違い。

 

「リラックス」から来ているのか、「焦り」から来ているのかの違い。

 

「インスピレーション」から来ているのか、「思考」から来ているのかの違い。

 

 

 

わたしの場合、そのいい方の信じるって感覚は

 

ふっと唐突に湧いてくるし

リラックスしているときにくるし

脈絡なくくるし

ぼぉっとしているときにくることが多い。

 

 

そして「渇望」との大きな違いは

 

その「信じる」感覚が湧いたときに、心がぱぁっと晴れ上がる。

 

 

 

 

 

 

 

その晴れ上がる感覚を基準に

 

 

わたしは信じるっていうのを採用しています。

 

 

 

 

で、結局のところ

 

そのダレカを信じているようで

 

そのナニカを信じているようで

 

 

 

じ・つ・は

 

 

自分のことを信じているのだと思います。

 

 

 

自分がそう感じたことを

 

信じているんですよね。

 

 

自分の内側に起こった微細な感覚

 

根拠のないその感覚を信じている。

 

 

これを続けると

 

自信につながるのだと。

 

 

だって、自信とは自分を信じることと書くもの。