朝から「ある」という感覚についてずっと考えていた。
「ある」
これまで心界隈、スピリチュアル界隈をずっと旅してきて
「ある」という言葉は何度も聞いてきたし、自分の中で確認してきた。
その「ある」という感覚は
なんども手に入ったように感じたし
けど、またなんども失ってきた。
きっと、この繰り返しはまだまだ続いていくのだと思うのだけど(それもわからないけど)
今朝、すごくこれまでより深い感覚で腑に落ちたので、それを言語化しようと試みている(笑)
すべては今ここにあるよ
すべては自分の内側にあるよ
わかったようで、わかってなかった。
今朝、わかったつもりになってるけど、きっとさらにもっと深くわかるって日がくるのだろう。
✩
愛はここにある。
うん、感じられる。
お金はたくさんある。
うん、それも感じられる
✩
目に見えやすいし、すごくやっぱり生きていくうえで重要なお金でいってみよう♪
いま現在、うちはまだ借金があります。
昨年あたりは月々の支払いが滞りがちだったので、お金は「ない」って感じていた。
だってあったなら、滞らないからって思ってた。
そして今年に入り、変わらず借金はあるけれど、支払いがほぼ滞らなくなっているので
お金は「ある」って感じ始めた。
たくさん旅にも行けたりだとか、お洋服も安いのばっかだけど買えてたりだとか。
でも、これ、見方によったら、お金は「ない」のかもしれない。
借金があること自体が「ない」と捉えられるポイントなのかもしれない。
でも、その考え方はずっと昔に脱していて
例えば、わかんないけど、ホリエモンさんとかソフトバンクの孫さんとかが
ビジネスを回すのに、借り入れているお金が億あったとしても
あの人たちのこと、多くの人が「お金ある」って見ていると思う。
上に書いた人たちがお金持ちに見えるのは
借り入れがいくらあろうとも、ものすごい大きなお金を循環させているから、そう見えちゃう。
つまりは
データ上の貯金はプラスだからお金があって
借金はマイナスだからお金がないって感覚はちがうってこと。
それより、いま、わたしの前をどれほどのお金が循環しているか?だと思うから。
でね
ある、なんだけど
今、目の前にあるものぜんぶにお金かかっているなぁと感じられてね
例えば、今打ってるパソコンだって数年前にお金払って買ったものだし
毎日食べてるものもお金払って食べてるし
ペットであるジルくんだって、お金を払って譲ってもらったワンちゃんだ。
そう、すべてお金だ。
家族とかも。
旦那さん、現在43歳。
旦那さんが43年間、この日本で生きてきたのに、どれくらいのお金が循環したのだろう。
愛おしい5人の息子たち。
習い事もあまりさせてないし、高校にも行ってないから
世間よりはかかってない!けど、それでも!!
今、すこやかに日本のあちこちで暮らしている上の子たち
さっき中学校と小学校に行った子たち
あの存在が今あるのにも、ずっとお金がついてまわっていたわけで
つまりは、なにが言いたいのかというと
周りはすべてお金だということ。
通帳の額とか
お財布に今いくらあるとか
年収とか
そういう狭い狭い了見でお金を見ると
「ある」のに「ない」と思ってしまうのだけど
今の世の中、目の前にあるものすべてにお金がかかっていて
その存在のうしろにちゃんとお金を見たなら
「ない」なんて思えない![]()
✩
お金がわかりやすいかなと思って書きましたが
愛もそう。
今書いたお金の感覚で目の前の世界を見たなら
ほんとすべてが奇跡なんだってわかる。
今、わたしが48歳目前、これまでこうして生きてきた中で
どれほどの愛を受け取ってきたのだろう。
両親の愛![]()
おじいちゃんおばあちゃんの愛![]()
ご近所さんからの愛![]()
お友達からの愛![]()
先生からの愛![]()
先輩・後輩からの愛![]()
彼氏からの愛![]()
旦那さんからの愛![]()
子どもたちからの愛![]()
ペットからの愛![]()
植物からの愛![]()
太陽からの愛![]()
風からの愛![]()
雨からの愛![]()
海からの愛![]()
山からの愛![]()
宇宙全体からの愛![]()
![]()
![]()
愛は恵みとも言い換えられるね。
どれほどどれほど受け取ってきたのだろう
そして同じく
自分からも放ってきたのだろう
受け取ったものが愛だと思えないことがあったりして
受け取ってきたことも忘れて
わたしからだってたくさんたくさん愛を放ってきて
でも
放った愛が届かなかったように見え、傷ついた出来事にフォーカスしちゃったりして
だから
ずっとずっと当たり前に注がれていたのに
ずっとずっとわたしからも注いできたのに
ずっとずっとあったのに
ないがしろにしていたから
つまりは大切にしてなかったから
「ない」って思ったりするんだなってわかったの。
「ない」と思うとき
ほんとどこまでも見ていない。
「ある」と思うとき
胸がぱぁっと開いてすべて見える。
この感覚こそが
つまりは、わたしの内側にすべてあるってこと。
だって「ある」を捉えているのは
まぎれもなく、わたしの内側であり
外側がなにか変わったからとかではないのだもの。
この今ここにあるものを
もっと大切にしていけそうな朝。
記録のために書きました。
