昨日、子供がお金をおとしたことで

怒りの感情の扱い方がまた進化していることに気がついたので

書いてみたいと思います。


石器時代のわたし


感情を爆発させて怒る


相手に、自分を投影していて(もちろん自覚なし)

できない自分が嫌いだから、無性にできない相手に腹がたつ。

そんな自分は大嫌い、そんな自分をまったく許せていない。

嫌いな自分をぶっつぶしたい欲求があり、それがそのまま相手に向く。

手をあげる。

大声でどなる。


でもすべて、相手を通して自分に向けられた感情であった。


感情を爆発させたあと、さらに自己嫌悪、さらに自分嫌いに。


縄文時代のわたし


怒ることはよくないことだと、認識はある。

感情を爆発させはしないが、嫌味として出していたりする。


感情コントロールができている気分になれ

以前の自分よりずっとずっとましだと感じる。


もちろん、まだ自分のことは好きではない段階。


押さえ込んだだけだから、いつまでもひきずる。

ちょっとよく似た違う場面で不必要に爆発してしまったりする。

これじゃ、我慢したかいなしな状況。

自己嫌悪の嵐。



弥生時代のわたし


怒らなかったりできる。

完全に抑えられたりする。

「誰でも失敗するんだし♪」

「わたしも失敗することあるしなぁ」

ものわかり、いい風♪


優しくなれたように思う。

自分は感情コントロールできるようになったと鷹をくくる。


でも、押さえ込んだ感情は残り、もやもやする。

怒りは悪いもの

おだやかはいいもの

そういう感情に分け隔てをしているから

自分の中での分離感はなくならない。


せっかく感情コントロールできる「いい人」になれたはずの自分になのに

イライラが残ったり、もやもやが残ったりする。

じくじくいつまでも、言い聞かせていたりする。


自分はかなり好きになれたが

緊張がとけない感じ。

作られた自分であるから。

認められているのは、本当の自分でなく

ある役割を演じている自分。

本当のわたしからの「認められたい」という欲求はなくならない。

だから、頑張り続ける。


まだ、だめだ。

もっともっとのループの中にいる。


      

現代のわたし


怒るというより、ただ感情を見つめる。

怒りの下にあるのは、だいたいが悲しみなので

何が悲しいのか見つめる。

見つかった悲しみをそのまま出す。


そこには攻撃性もなく

相手にも伝わりやすい。

ただ淡々と流れていくものを捉える感じ。

押さえ込んでいないので、残らない。

流れていく。


自分のことを嫌いにならない。

イコール、相手のことも嫌いにならない。



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こんな感じで進化してきました。


ずっとテンション高めで

随分自分好きになれたなぁと思っていたわたしが


たぶん今は

テンション落ちていても自分好きかと

確かめている感じ。


うんうん。