昔から、親を尊敬できなかった。
ある時期から、「こんなの家族じゃない。ただの同居人だ。」と思いながら暮らしていたし、
親と必要最低限のことしか話さないし、
もちろん本音で話すことなんてしない。
自室に入られると怒ったし、むかついた。
親への感謝もなければ、尊敬ももちろんなかった。
元旦那の親御さんにもそんな感じで。
かわいがってもらえなかったし、
私も毛嫌いしてた。
必要最低限のことしか連絡取らなかったし、孫の顔みせにいくこともしなかった。
(向こうも見たがらなかったしね)
でもそんなある日、
家族とても仲良くて、親をすごく尊敬している人に出会った。
キラキラして、羨ましいなって思った。
家族が仲いいって、どんな素敵なことだろう。
その人がね、
母の日にね、
離れてくらすお母さんに、電話してたの。
「お母さん、いつもありがとう。
今日は母の日だから、電話したよ。
こうやって毎日楽しく暮らせてるから、
お母さんの子育ては間違ってなかったと思うし、感謝してるよ。」
って、なーーんのためらいもなく、
電話で話してて、
私はそれがすごく衝撃だったの。
きっと、日頃から親への感謝と尊敬があるからこそサラサラっと出てくる言葉なんだろうな、って。
その人に尊敬したし、私もそうなりたいと思ったの。
だから私も見習って、母親に電話して、
ありがとうって言った。
そしたらね、
すごく汚くて色褪せたキラキラした世界が見えた。
この気持ち、なんだろう。
清々しくなかったの。
それで考えてみたんだけど、
親への感謝も尊敬も、
今はまだ、感じられないということ。
日頃、娘を預かってくれたり、ご飯作ってくれたりすることには、ふつうに感謝できるようになった。
ただ、ここまで私のことを育ててくれてありがとうとか、家族のありがたみを教えてくれてありがとうとか、そんなことには感謝できなかった。
私とお母さんは、違う人間で、
性格も求めているものも、人生も、真逆な人生だと思う。
だから、私はお母さんのようになりたいなんてこれっぽっちも思わない。
それはすごく残念なことだけど、
でも、お母さんがいてくれて良かった。
私とお母さんは違う人間だということを教えてくれたし、
お母さんのような人生は、私にとってはつまらないということを教えてくれるために存在してくれていたと思うし、
私がつくりたい理想の家族と、
育ってきた家族関係もきっと全然違くて、
ただのデータでしかないんだな。
これは嫌だ、
もっとこんなのがいい、
って、私の求めるものを明確にするためのデータでしかないんだな。
だからね、育ててくれてありがとう、という感謝とか、家族のありがたみは教えてもらえなかったけれど、
お母さん、存在してくれてありがとう。
私にたくさんのデータをくれて、ありがとう。
そこには感謝してます。
それに、そんな親を尊敬できない私でも大丈夫。
親を尊敬できないことと、
私の望む世界を創れないことはイコールじゃないもん。
どんな自分にもOKを出して、
毎日楽しく、過ごすだけで、
きっと最大の親孝行。
いつもありがとう(*ˊ˘ˋ*)