こんにちは。いいばちひとみです。
本来、ものごとというのは
かくいう私も、長いこと、
ある、とてもシンプルなことを
あるとき、それに気がついて
涙から一転、思わず大爆笑、したのですが、、、笑
今日はそんな、私のオモシロ体験談を紹介します。
この胸の苦しみと、言葉たち
それは私が幼いころ、
母にひどく叱られたときに感じたのと
同じものでした。
ひどい虐待があったわけではありませんが、
とにかく怒った母が、怖くて仕方なかった私。
「あのね、うちのママは、テレビに出てくる殺人犯よりこわいんだよ」
そう幼稚園で言いふらすくらいに、です。
「ごめんなさい」の言葉の奥にある
その感情の一致に気づくと、
更にこんな言葉が出てきました。
「なんで私は、あんなに怒られたんだろう」
「こんなにつらくなるくらい、何をしたというのだろう」
「どんな悪さをしたんだろう」
そしてついに
「わたしは、わるくない!」
「わたし、悪くないよ、悪くないじゃん!」
「なんで怒るの?なんで叩くの?」
「なんで怖い顔するの?」
「なんで、そんな顔で私を見るの?」
大激怒!
なんと、
ちいさなわたし、、、
お母さんに対して、、、
ブチ切れていたんですね。。。(笑)
小さい私
チカラのない私
やさしい私
ママが大好きな私
ママを守りたい私
ママを悲しませたくない私
そんなたくさんの「わたし」が
怒りや癇癪(かんしゃく)を丸め込んで
こう、決めてしまっていたようです。
「私が悪いということにしておこう」
☆
犬や猫に対する「ごめんなさい」
握りしめた手をほどいてみたら、
そこには小さな私の
「癇癪(かんしゃく)」 と 「愛」 がありました。
つじつまが
合うような合わないような、話かもしれません。
でも、わたしの掌の中にあるものを見た時
私自身がすっきりして
夢から覚めたような気持ちになれたこと。
それはまぎれもない真実です。
そして
書き出したたくさんの「ごめんなさい」を
次の日に改めて眺めてみると
それは母の独り言のようにも思え、、、
ああ、ママの悲しみも
私が引き受けていたのかもしれないな。
頼まれないのにね、そんなこと。
少しだけ、せつない気持ちになりました。
ひとりで泣いて
ひとりで激怒して
ひとりで大笑いして
ある、暑い夏の日の
昼下がりの出来事でした。
本来、ものごとというのは
ひとつひとつが
とてもシンプルなもの。
とてもシンプルなもの。
でも、
シンプルに生きる
シンプルに生きる
ということになると、
これは結構、むつかしいなと思います。
かくいう私も、長いこと、
ある、とてもシンプルなことを
複雑にふくざつにし続けてきました。
あるとき、それに気がついて
涙から一転、思わず大爆笑、したのですが、、、笑
今日はそんな、私のオモシロ体験談を紹介します。
長いので興味のない方はスルーしてくださいね。
ずっと握りしめていた「ごめんなさい」の正体について。
2015年7月の出来事です。
☆
先日、紙に願い事を書いていたら、
なぜだか、急に、
「ごめんなさい」と書きたくなりました。
以前飼っていた、犬や猫のことを思い出したのです。
母が逝いたあと、我が家は
老いたゴールデンレトリバーと猫が4匹、
そして私、の、6頭家族となりました。
犬も猫も、母が我が子のように可愛がっていた子たち。
でも、私は、その子たちのお世話を
十分にしてあげることができませんでした。
人に話せば、
「そんなことないよ」「仕方ないよ」
「よくやったよ」「犬も猫もしあわせだったよ」
そう言ってもらえます。
でも、どんな言葉をかけられても、わたしは、
自分で自分を許すことができずにいたのです。
☆
わたしは願い事を書く手を止めて
「ごめんなさい」
その気持ちのままに、
いつも心で思っていることを
紙に書き出してみました。
犬へ、猫へ、
いろんなごめんなさいを、
どんどん書いていきました。
ボロボロ、ボロボロ、泣きながら書きました。
すると、
たくさんの「ごめんなさい」のあとに
「ゆるしてください」
「もうしません」
という言葉が出てきたのです。
「ごめんなさい」
「ゆるしてください」
「もうしません」
ずっと握りしめていた「ごめんなさい」の正体について。
2015年7月の出来事です。
☆
先日、紙に願い事を書いていたら、
なぜだか、急に、
「ごめんなさい」と書きたくなりました。
以前飼っていた、犬や猫のことを思い出したのです。
母が逝いたあと、我が家は
老いたゴールデンレトリバーと猫が4匹、
そして私、の、6頭家族となりました。
犬も猫も、母が我が子のように可愛がっていた子たち。
でも、私は、その子たちのお世話を
十分にしてあげることができませんでした。
人に話せば、
「そんなことないよ」「仕方ないよ」
「よくやったよ」「犬も猫もしあわせだったよ」
そう言ってもらえます。
でも、どんな言葉をかけられても、わたしは、
自分で自分を許すことができずにいたのです。
☆
わたしは願い事を書く手を止めて
「ごめんなさい」
その気持ちのままに、
いつも心で思っていることを
紙に書き出してみました。
犬へ、猫へ、
いろんなごめんなさいを、
どんどん書いていきました。
ボロボロ、ボロボロ、泣きながら書きました。
すると、
たくさんの「ごめんなさい」のあとに
「ゆるしてください」
「もうしません」
という言葉が出てきたのです。
「ごめんなさい」
「ゆるしてください」
「もうしません」
この胸の苦しみと、言葉たち
それは私が幼いころ、
母にひどく叱られたときに感じたのと
同じものでした。
ひどい虐待があったわけではありませんが、
とにかく怒った母が、怖くて仕方なかった私。
「あのね、うちのママは、テレビに出てくる殺人犯よりこわいんだよ」
そう幼稚園で言いふらすくらいに、です。
「ごめんなさい」の言葉の奥にある
その感情の一致に気づくと、
更にこんな言葉が出てきました。
「なんで私は、あんなに怒られたんだろう」
「こんなにつらくなるくらい、何をしたというのだろう」
「どんな悪さをしたんだろう」
そしてついに
「わたしは、わるくない!」
「わたし、悪くないよ、悪くないじゃん!」
「なんで怒るの?なんで叩くの?」
「なんで怖い顔するの?」
「なんで、そんな顔で私を見るの?」
大激怒!
なんと、
ちいさなわたし、、、
お母さんに対して、、、
ブチ切れていたんですね。。。(笑)
小さい私
チカラのない私
やさしい私
ママが大好きな私
ママを守りたい私
ママを悲しませたくない私
そんなたくさんの「わたし」が
怒りや癇癪(かんしゃく)を丸め込んで
こう、決めてしまっていたようです。
「私が悪いということにしておこう」
☆
犬や猫に対する「ごめんなさい」
握りしめた手をほどいてみたら、
そこには小さな私の
「癇癪(かんしゃく)」 と 「愛」 がありました。
つじつまが
合うような合わないような、話かもしれません。
でも、わたしの掌の中にあるものを見た時
私自身がすっきりして
夢から覚めたような気持ちになれたこと。
それはまぎれもない真実です。
そして
書き出したたくさんの「ごめんなさい」を
次の日に改めて眺めてみると
それは母の独り言のようにも思え、、、
ああ、ママの悲しみも
私が引き受けていたのかもしれないな。
頼まれないのにね、そんなこと。
少しだけ、せつない気持ちになりました。
ひとりで泣いて
ひとりで激怒して
ひとりで大笑いして
ひとりで気づく
いや
ふたりでかな。
ある、暑い夏の日の
昼下がりの出来事でした。
