生も歓喜 死も歓喜 という生死観が、私は好きです。

人はどこからきて、どこへ行くのか、
ホントの所は、誰にもわかりません。

でも、わたしは、魂は永遠だと思っています。

生まれて、死んで、宇宙に溶け込んで、
また、形を変えて、生まれていく。

悠久の旅をしているように感じます。


8月28日は、母の命日。

亡くなる前日に様態が急変。

呼吸器をつけて苦しそうにしていた母は

ふいに、その容態には似つかわしくない
あどけない瞳でこういいました。


「このしんどいのも、あと一週間、、、いや、あと一日でいいわ」


そしてその言葉通り、翌日、母は朝日と共に旅立ちました。


最期の夜、私はずっと母の手を握っていました。

「ママのすべての細胞が、蘇生しますように」

「ママのすべての細胞が、穏やかになりますように」

迫る別れを否定するというよりは
ただ、苦しくないように、痛くないようにと

祈っていました。


明け方、母の呼吸も落ち着き
穏やかな時間がゆっくりと流れる中

ふと、私の目の前を、ふたつの光がよぎりました。


あたたかな白い光と、やわらかい青色の光です。


その数十秒後、ナースコールのアラームが鳴り

かけつけてくれた看護師さんに見守らながら
母は静かに息を引き取りました。


小さく深呼吸をして、眠るように。


少しずつ、小さく弱くなっていく呼吸を見ているのは

子どもの頃、線香花火の最後の火を見届ける気持ちによく似ていました。


ぽとりと落ちてしまわずに、すーっと消え入っていく火を、見守っているような感覚です。



「いっちゃったね」


「うん、いっちゃったね」



そう答えてくれた看護師さんが、一粒の涙を落としたあと

「先生、よんでくるね」 と、ナースの顔に戻って病室をでていったことに

わたしは心から「ありがとう」と思いました。



ふたたび、二人きりになった病室で、わたしはママの頬に、キスをしました。



4年半の闘病生活。

その中で、なんど母に抱きつきたいと思ったか。

抱きしめてもらいたいと思ったか。

思いが強くなるほどに、弱っていく母を目の前に何も言えず
素直になれない自分がようやく解放されたように

わたしは、大好きなママに、キスをしました。



止まっていた心臓が、一瞬、脈を打ちましたが

そのまま、母は目を開けることなく、新たな命へと旅立っていきました。



「またね」



生まれてくることも、死んでゆくことも

魂の大切なひとつの儀式です。



そして魂は、いつ、どこにいても、再び出会える

そんな気がしてなりません。



母のもとに降りてきた、二つの光。


あれはきっと、先に旅立った
祖母 と 父 だったのでないないか



私は今でも、そう信じています。