8月31日は長女の誕生日
35年前、初めてのお産を経験した。
その当時、一般的だった予定出産
無知であった私は何の違和感を持つことなく同意した。
予定出産日は8月31日(予定日は9月1日)、朝、起きると少量のおしるしがあった。
それでも能天気に
予定出産日に「おしるし」なんて良い子なのだろうと思った。
促進剤を用い
破膜し
浣腸
剃毛
好ましい事では無かったが、赤ちゃんを産む為に必要なことだと
受け容れ何の疑問も持たなかった。
人工的に破水を起こしたお腹はすぐに硬くなった。
陣痛室は、やっと身体をよこたえる事が出来る幅しかないベッドが
無機質に置かれている。寝返りを打つときには落ちない様に注意しなくてはけない。
当たり前に、付き添いもなく、ただ一人向き合う時間
まだまだ、お産が女性の仕事だという意識化にいた時代
そこにいる私は幸せと愛でその時を待っていた。
「障子の桟が見えなくななるほどの痛みが来ないと産まれないよ」
祖母が言った言葉を信じ、サッシの溝を見ながら、お産の進み具合を確認した。
結局、分娩台に上がるその時まで、サッシの溝はハッキリと見えていた。
お産が終わった時の感覚は、まるでマラソンを走り終えた時のような
達成感と満足感、まさに幸せに満ち溢れていた。
翌日、空っぽになった、自分自身の腹部を見た
初めて現実を突きつけられた気がした
「あれ?産んだら元の綺麗なお腹になるんじゃないの?」
なるはずはないが無知な私には衝撃が走った。
お解りだろうか?
私は私自身を愛し私自身の幸せを感じていた。
赤ちゃんを得た喜びと幸せに満たされていた。
勿論、我が子を可愛いと思い、愛おしいと感じた。
しかし
赤ちゃんの身になって、赤ちゃんの想いになって
何かを選択しただろうか??
8月31日の朝、おしるしの合図は
「促進剤打たなくても自然に産まれるよ」
だったのかもしれない
破水もしていないのに破膜され
急にお水が無くなっていく子宮の中は、恐怖だったのではないだろうか?
様々な想いが頭を過る
無痛分娩が話題に上る度、思い出す
そもそも、出産とは命を産みだす行為
痛くない選択・・苦しくない選択・・と引き換えにできるものだろうか?
その前に、なぜ怖いと思うのか?
なぜ、その痛みと言うものから逃げたいと思うのか?
自分自身と向き合う必要があると思う。
どんなに選択肢を眺め選んだとしても
出産は赤ちゃんとの共同作業である事、出産は女性のものだけではないことを
認識する必要がある。
選択した方法はどうであれ、3人の子供を無事に出産したが
出産から現在に至るまで、母親として後悔している事は多々ある。
それは
子供の想いを第一に選択してこなかったことに在る
無知であった母をできれば (笑)許して欲しいなと思う。 (笑)
だからこそ、私は「ヒプノ赤ちゃん」を多くの方に伝えたいと思う。
色々な情報を得られる現代
どうか、ママとパパとbabyにとって最も幸せで素敵な出産方法を選択できます様に祈っています❤