● 金刀比羅宮 書院の美 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

美術を、もっともっと身近なものに。もっともっと楽しいものに。もっともっと笑えるものに。


遊虎図・雪松図・幽霊画


「日本画って、古臭い」

 

そう思っているアナタにこそ、是非、足を運んでもらいたい美術展があります。
それは、上野にある東京藝術大学美術館で9月9日まで開催されている
“金刀比羅宮 書院の美” という美術展。

金刀比羅宮と聞いても、ピンと来ない方もいるかもしれませんね。
しかし、「こんぴらさん」という愛称なら、一度くらい耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この金刀比羅宮は、江戸時代、超がつくほどの有名観光スポットでした。
 
今で言うなら、六本木ヒルズのようなもの。
六本木ヒルズに時代の最先端アートが集まっているように、
金刀比羅宮には、江戸当時の最先端アートが集まったのでした。

今回は、そんな当時の最先端アーティストたちが描いた襖絵が、
何と130面ほども、香川から上野に上陸!
そして、金刀比羅宮の書院(←部屋のこと)10室を再現するという、
とんでもなく大規模でスペクタクルな美術展なのです。

 
…と言ったもののです。
実際のところ、金刀比羅宮の書院を完全に再現したとは、まぁ、お世辞にも言えません。
美術館自体の都合もあるのでしょう。
床は畳張りするわけにはいかなかったみたいです。
普通のフローリングです。

そこに、襖絵が実際の寸法で配置されているのです。
最初は、それに、ちょっと面食らったものの、
しばらくすると、「これは、これで、アリだなぁ。」と思ってきました。
こう展示してあることで、かえって、襖絵を芸術作品として、割り切って鑑賞できるのです。

それに、襖絵が、普通の美術館の床に展示されているというのは、
インスタレーション(=空間芸術)のようであり、新鮮な気持ちで見れました。
古いのに新しい。
まさに、そんな不思議な空間です。
 
円山応挙の襖絵(ふすまえ)をはじめ、岸岱の 《水辺柳樹白鷺図》 など、
見どころは、たくさんあります。
特に、伊藤若冲の 《花丸図》 は、その大半がコピーで代用されていましたが、
それでも、やはり彼の非凡さが伺えるほどの逸品。
若冲フリークの僕としては、語りたいことはたくさんありますが、たくさんある故に、今回は割愛します。
 

と、このように、まとまった数の襖絵を見る機会に恵まれたのは、意外にも初めてのこと。
普通の美術展では、2、3セット見るか見ないかというところです。
これだけの数を見ていたら、改めて、襖絵の魅力・面白さというものに気づかされました。
 

その一つめが、『襖絵は襖に描かれている』 ということ。
"何、当たり前のこと言っているんだ!”
と、多くの人がツッコミを入れたことでしょう。

が、そこは怒りをおさめていただいて、一つ考えてみて下さい。
日本以外では、襖絵のように、日用品に絵が描かれているものはあるでしょうか?
僕の知る限りでは、おそらく、ありません。

西洋では、絵は額に飾って、手が触れないような場所に飾って、鑑賞するものです。
それと比べると、襖絵は正反対のものです。
当然、手に触れるし、下手したら、体を寄りかけられたり、
締りが悪ければ、足蹴にされるかもしれません。

そんなことに思いを巡らすと、日本と西洋では絵に対するスタンスが、全く違うことに気づかされます。
日本では、芸術は崇高なものでなく、装飾のため、
言うなれば、生活に根ざしたものなのですね。
 

また、他にも 『襖絵は可動する』 という面白さがあります。
例えば、今回の展示の目玉である
円山応挙作・奥書院障壁画 《遊虎図》 (写真・左)をご覧下さい。
2匹の虎が川の水を呑んでいる迫力ある絵です。

さて、隣の部屋に行く場合、この襖を開けて通るしかありません。
そうすると、ちょうど、この2匹の間を通っていくことになります。
両方から虎に睨まれて…。
あぁ、何だか怖いですね。若手芸人のお仕事のようです。

応挙は、この襖絵を描くにあたり、襖の開閉のことまで計算して描いていたのでしょう。
このように、襖絵は開け閉めできることで、色んな表情が生まれます。
襖を開けたことで、隠れてしまう絵もありますし。
もちろん、今回の展示場では、開け閉めできませんが、
そんなことを想像してみるのも、また一興です。
 

そして、もう一つ、面白いことに気がつきました。
それは、『襖絵は立体空間が表現できる』 ということです。

今回、この美術展に行かれたら、是非とも、
襖絵に描かれている人物や動物の目線に注目してみて下さい。
彼らの目線を追ってみると、たいがい、その行き着く先は、
室内の他の面に描かれた襖絵にぶつかります。
目線が室内を、行き交っているのです。

と、僕は、このことに気づいたとき、長年の謎だったあることが解決したような気がしました。
それは、「なぜ、日本では遠近法が誕生しなかったのか?」という謎です。
洋画の影響で、日本画にも遠近法が取り入れられたと言われています。
 
とは言え、日本人も西洋人も同じように景色を見ていたわけで。
なぜ、日本人だけ遠近感を絵に表すすべを思いつかなかったのだろうかと。
その答えの一つが、この襖絵にある気がします。
西洋では、3次元の世界を2次元の世界で表現しようとしていましたが、
日本では、そんなまどろっこしいことはせず、はじめから3次元の空間に絵を描いていたのです。
 
 
さて、今回、取り上げるのは、円山応挙
この美術展で公開されている襖絵の大半が彼の手によるもの。
つまり、円山応挙が、どんな人だったのかを頭に入れてから行けば、
美術展の半分は完璧に楽しめるというわけです。

円山応挙は、江戸時代の中期に京都で活躍した画家です。 
彼は、日本の美術史上において、もっとも偉大な画家の一人と言われています。
応挙が残した一番の功績は、"日本の美術を、とてもわかりやす~いものにした” ということ。
それまでの日本の美術というものは、伝統的で格式張ったものでした。
師匠の絵を見て、弟子が同じように、それを描く。
そして、そのまた弟子が、その絵を見て…の繰り返し。
そんな繰り返しが長く続いたため、描かれているものが、
いつしか、時代とは、全くそぐわなくなってしまっていたのです。

そのため、絵は、古典の知識を持っていないと、
何が描かれているのかわからないという、何とも専門的なものとなってしまっていたのです。
 
と、こんな時代に颯爽と登場したのが円山応挙。
彼は、師匠の絵を模写するのでなく、
目の前にある動植物を、自分の目で観察して描きました。
"写生画” の誕生です。

この応挙の "写生画” は、「特に知識もいらずに、わかりやすい」と、民衆に大評判となります。
そして、応挙の支持者による 「円山派」 と呼ばれる一つの流派まで誕生し、
今日にまでいたるのです。
 

と、この円山応挙が残した功績。あるものとよく似ている気がしませんか?
ヒントは、今、この日記を読んでくださっている多くの皆さんの目の前にある。
そう、パソコンです。

今でこそ、当たり前に使っているこのパソコンですが、
昔は、知識を持ったものしか扱えない、かなり専門的な代物でした。

そんなパソコンを、とてもわかりやす~いものにしたのが、
リンゴのマークでお馴染みのアップルコンピューター社が発売した
画期的なコンピューター【マッキントッシュ】
【マッキントッシュ】を支持し、愛用する人は、「Macユーザー」と呼ばれ、
現在、世界に何万人といるのです。

知れば知るほど、深い結びつきがある円山応挙と【マッキントッシュ】
類似する点は、まだまだあります。
 
その一つが、現在まで続く画期的なスタイルを作り上げた点です。
円山応挙が、"写生” という画期的なスタイルを考案したのは、
先ほど述べた通りですが、彼は画法においても、一つの新しい画法を作り上げていました。
それは “付立て(つけたて)” と呼ばれる画法。
一言で言うと、「輪郭線を用いず、1本の筆の全体に淡墨(淡彩)、
先端の部分に濃墨(濃彩)を含ませて、1筆で濃淡を表現する技法」のこと。

このように墨をつけた筆を、紙につけたら離さずに、一気に描ききります。
イメージとしては、マウスをドラッグするような感じです。
すると、何とも言えないグラデーションが生まれるのです。
 
実際に、“付立て” を用いて完成した絵が、写真中央の 《雪松図》
まさに、何とも言えないグラデーションです。

ちなみに、今の説明でチラッと出てきた “マウス” 。
これは、実は【マッキントッシュ】が、初めて取り入れたスタイル。
他にも、 “デスクトップパソコン” や “アイコン” と言ったスタイルも、
全て【マッキントッシュ】が広めたものなのです。


また、円山応挙の絵の鑑賞ポイントの一つに、落款(=サイン) があります。
彼は、どの絵にも、実に丁寧に落款を書きいれているのです。
応挙の真面目な人柄が表れていると、多くの美術評論家が語っています。
応挙の絵を見る機会があったら、是非、落款にも目を向けてみましょう。
きっと「通だな」と思われること請け合いです。
 

同じように、一つ昔の世代の【マッキントッシュ】を見る機会があったら、
こちらにも、是非、目を向けてもらいたい箇所があります。
それは、パソコン本体のカバーの内側。
そこには、開発者たちのサインが書きこまれているのです。
これも知っていると、きっと「通だな」と思われること請け合いです。
 

では、最後に、円山応挙が残したもう一つの功績についてお話ししましょう。
それは、応挙が、ある一人の男から、「幽霊画を描いて欲しい」と頼まれた時のこと。
見たものを描く“写生”の画家・応挙は、この難題に頭を抱えてしまいます。
「はて、どないしよう?幽霊、見たことないさかいなぁ…」

そして、考え疲れ果てた数日後、彼の枕元に、何と念願の幽霊が現れたのです!
それは、応挙の亡き妻・おゆきでした。
さっそく、翌日、その妻の幽霊をモデルに描くもののも、“写生” を極めた応挙の画才ゆえ、
どうしてもリアルになってしまいます。
幽霊には見えません。

悩んだ末、応挙は、あるアイデアを思いついたのでした。
幽霊の一部分を、あえて描かなかったのです。
そうして描かれたのが、写真右の 《幽霊画》 です。
 
このアイデアは大ヒット。
これ以降、世のほとんどの幽霊画から、足が消えたのでした。
今では、当たり前に考えられている、“幽霊に足がない”という概念は、
そう、円山応挙が広めたものだったのです。

一部分がないと言えば、【マッキントッシュ】も、またしかり。
アップルコンピューターのロゴマークであるリンゴも、しっかり一部分が欠けていますね。
その理由は、諸説あるそうですが、はっきりとはしてないそうです。
もしかしたら、円山応挙のこのエピソードをヒントにしたのかも知れません。
 
さぁ、行く前に、この無駄にカッコいい(←失礼!)金刀比羅宮公式ホームページで予習してから、
http://www.konpira.or.jp/
“金刀比羅宮 書院の美” へ行こう!