本日、
父の納骨堂のあるお寺の
『施餓鬼会』があった。
今ひとつ、お寺の行事がわからないワタシたちは
父の法要以外で
ソレ 納骨堂のお参りだの
ヤレ 盂蘭盆だの
通知を頂くと
どれをどのように出席してよいものかもわからず
言われるままに出ている。
でも、正直そのたびに
『お布施』も出ていくワケで・・・
これから先もずっとお世話になるお寺だから
ある程度のコトはしなければならないだろうけど
どこまで?
それでも母と、弟家族とワタシ達夫婦と。
一緒に納骨堂の父に会いに行く機会とするなら
それはそれで良いのかも。
火曜日の今日は
弟も会社を休んで
ダンナも遅ればせの夏休み。
盂蘭盆施餓鬼会は
実にあっさり終わってしまったけれど
「じゃ、次は父さんの百箇日。」
そう言って解散となった。
去るものは日々疎しで
来年はこれほど頻繁にとはいかないだろうけど
今年くらいは全員で足しげく父に会いに行きたいと思う。
毎回気持ちよく付き合ってくれる
弟奥さんとダンナにも感謝。
さて、実家の母
まだ万全とはいかないけれど
だいぶ落ち着いてきた。
それと共に
父の思い出も口にするようになった。
先日も
ぽそっと
と、言う。
母に言わせると
昨年の手術の後
ほんのつかの間の退院中
だんだん歩けなくなって車椅子の生活になった頃の父が
49年間の結婚生活中一番好きだったそうだ。
ワンマンだった父は
ずっと弱みを相手に見せたくないばかりに
妻に対して特に突っ張っていたのかもしれない。
ツッパリを弱めざるを得ない状況になって
初めて
素直になれたようで。
実際の父の気持ちを知っているわけではないので
憶測に過ぎないけれど
年明けからの父は
娘の目から見ても明らかに表情が変わっていた。
母も一番介護が大変だったとき
それでも一生懸命父と相対していたときだった。
頼れるのが母だけだと父自身も悟ったようで。
実際に
父の命があと1年
もし続いていたのなら
おそらく
母の方がつぶれていただろう。
張りに張った母の糸が切れてしまわないうちに
父は旅立って行った。
最後までやりきった母と
最後の最後にやっと素直になれた父と
一発逆転サヨナラホームランやぁってトコで。
どっちが負けたワケでも
勝ったワケでもないけどね。
母、
先日から、ずっと止まってたブログを再開した。
「お父さんに
まだ、聞いてないことがたくさんあるの。
それ、書こうかな?」
そう。
それと
お母さんの近況報告もね。
父さんへ
暑いけど
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