美容師兼 タロット占い師のアポージョ川原です。
先日からの続きです。
小学校の時の6年間は、勉強らしい勉強は
ほとんどと言っていいぐらいしませんでした。
宿題を かろうじてやったかなーって程度( ̄▽+ ̄*)
小学校一年からの3年半は、祖母と兄との生活でしたが、
この祖母は、やんちゃな人で、
一度も私たちに勉強しろとは 言いませんでした。
その代り、花札やおいちょカブを教えてくれました(笑)
平日、学校があるとかは関係なく
自分の見たい深夜番組を欠かさず見てました(笑)
眠たかったら、勝手に寝るやろ、と。。。
布団を引いて、並んで寝るもんですから、
当然、TVが目に入ってきて、
私も、一緒に TVを見いってしまうので、
11時ぐらいになってしまうと、一人
明日起きれるかなぁ と不安に駆られる毎日でした。
4年生の時からの、母との住込みの生活も
より、勉強から遠ざける環境でした。
私は、学校帰りに 寄り道して、外で
リコーダーやバチなどの練習をしたり、
(音楽の授業が厳しく、練習がいるのだけれど、
音を立てる練習はうるさいと、できなかったので)
それがない日は、ランドセルを置いたら、一目散に
友達の家や、公園や、神社など、
ありとあらゆるところに出向きました。
いったん帰っての 夕食後に、
料亭の忙しさがピークになり、
母はもとより、そこに働く誰もが、
私の存在には目もくれませんでした。
私が寝床としている 3畳間は、
先日も記述しましたが、
料亭の 大広間の廊下を挟んで 向かいに位置し
夜の6時を過ぎたころから、各界のお偉いさんが
(私にしたら 酔っ払いのおっさんたち)
夜な夜な 大宴会を繰り広げ、
いったんそこに入ってしまったら、
トイレに行くにも 一苦労。
子供がちょろちょろしてるとまずいので、
襖をそっとあけ、周りを見渡してから、
脱出するしかないのです。
まるで、忍者のように。。。
しかも、酔っぱらいのおっさんが、
たまに、トイレと間違えて、
その部屋を開けることがあるので、
鍵のないその部屋で、開けられはしまいかと
毎日が ひやひやでした。
なので、その部屋に入るのは、
できるだけ 寝る前ギリギリがベストでした。
隔日に お風呂屋さんに行くとき以外は、
外でぶらぶらしていて、行くあてもないので、
平日のほとんどを、大通りにある本屋さんで
閉店まで、立ち読みをして 過ごしました。
帰宅は毎夜9時ごろでした。
『できるだけ帰りたくない』 その一心でした。
誰にも相手にされないことより、
繁華街を一人でぶらつく、それを選んでました。
今の時代のように、ゲームセンターなど
余計なところがなかったのが幸いでした。
その時の話を、先日 母としました。
「あんたは、勉強に関しては 心配いらんかった」
と言い切る母。
『 私、小学校の時はいっこも勉強せんかった 』
「 そうなん? 」
『 あの環境で、勉強できる? 』
「 せやな 」
でした。
ただ、よくよく考えたら、
勉強のことをうるさく言われたことがないので、
勉強を嫌いになることはなかったです。
しなかっただけで(笑)
私が幼稚園のころ、兄は小3で、
その頃は、母も専業主婦で、目も行き届いていたので、
従兄の大学に通うお兄ちゃんを、
兄とその友達のために 家庭教師として呼んでました。
私の目から見て、兄は勉強が肌に合わず、
『私の方が覚えてしまうわー』っていうぐらい
言われても、理解せんかったです。
兄は、それ以来、(きっかけがそれかわからんけど)
勉強嫌いになって行ったような気がします。
母はわかってなかったな。。。
妹の私が言うのもなんですが、
芸術の才能があった 兄でした。
習字も絵画も 習ったことはなかったけれど、
どちらも、習った人以上に 上手でした。
なのに、勉強をさせられてました。
あわへんのに。。。 ザンネン
そう考えると、
私は、意外に助かったのかもしれません(^_^;)
なんか、話がそれていきました。
しかし、
こんなぶらぶらしていた私でも、勉強する時が来
そして、一応、それなりの高校に入れたので、
人生諦めたら、あかんちゅーことです
もう少し、続きます
先日からの続きです。
小学校の時の6年間は、勉強らしい勉強は
ほとんどと言っていいぐらいしませんでした。
宿題を かろうじてやったかなーって程度( ̄▽+ ̄*)

小学校一年からの3年半は、祖母と兄との生活でしたが、
この祖母は、やんちゃな人で、
一度も私たちに勉強しろとは 言いませんでした。
その代り、花札やおいちょカブを教えてくれました(笑)
平日、学校があるとかは関係なく
自分の見たい深夜番組を欠かさず見てました(笑)
眠たかったら、勝手に寝るやろ、と。。。
布団を引いて、並んで寝るもんですから、
当然、TVが目に入ってきて、
私も、一緒に TVを見いってしまうので、
11時ぐらいになってしまうと、一人
明日起きれるかなぁ と不安に駆られる毎日でした。
4年生の時からの、母との住込みの生活も
より、勉強から遠ざける環境でした。
私は、学校帰りに 寄り道して、外で
リコーダーやバチなどの練習をしたり、
(音楽の授業が厳しく、練習がいるのだけれど、
音を立てる練習はうるさいと、できなかったので)
それがない日は、ランドセルを置いたら、一目散に
友達の家や、公園や、神社など、
ありとあらゆるところに出向きました。
いったん帰っての 夕食後に、
料亭の忙しさがピークになり、
母はもとより、そこに働く誰もが、
私の存在には目もくれませんでした。
私が寝床としている 3畳間は、
先日も記述しましたが、
料亭の 大広間の廊下を挟んで 向かいに位置し
夜の6時を過ぎたころから、各界のお偉いさんが
(私にしたら 酔っ払いのおっさんたち)
夜な夜な 大宴会を繰り広げ、
いったんそこに入ってしまったら、
トイレに行くにも 一苦労。
子供がちょろちょろしてるとまずいので、
襖をそっとあけ、周りを見渡してから、
脱出するしかないのです。
まるで、忍者のように。。。
しかも、酔っぱらいのおっさんが、
たまに、トイレと間違えて、
その部屋を開けることがあるので、
鍵のないその部屋で、開けられはしまいかと
毎日が ひやひやでした。
なので、その部屋に入るのは、
できるだけ 寝る前ギリギリがベストでした。
隔日に お風呂屋さんに行くとき以外は、
外でぶらぶらしていて、行くあてもないので、
平日のほとんどを、大通りにある本屋さんで
閉店まで、立ち読みをして 過ごしました。
帰宅は毎夜9時ごろでした。
『できるだけ帰りたくない』 その一心でした。
誰にも相手にされないことより、
繁華街を一人でぶらつく、それを選んでました。
今の時代のように、ゲームセンターなど
余計なところがなかったのが幸いでした。
その時の話を、先日 母としました。
「あんたは、勉強に関しては 心配いらんかった」
と言い切る母。
『 私、小学校の時はいっこも勉強せんかった 』
「 そうなん? 」
『 あの環境で、勉強できる? 』
「 せやな 」
でした。
ただ、よくよく考えたら、
勉強のことをうるさく言われたことがないので、
勉強を嫌いになることはなかったです。
しなかっただけで(笑)
私が幼稚園のころ、兄は小3で、
その頃は、母も専業主婦で、目も行き届いていたので、
従兄の大学に通うお兄ちゃんを、
兄とその友達のために 家庭教師として呼んでました。
私の目から見て、兄は勉強が肌に合わず、
『私の方が覚えてしまうわー』っていうぐらい
言われても、理解せんかったです。
兄は、それ以来、(きっかけがそれかわからんけど)
勉強嫌いになって行ったような気がします。
母はわかってなかったな。。。
妹の私が言うのもなんですが、
芸術の才能があった 兄でした。
習字も絵画も 習ったことはなかったけれど、
どちらも、習った人以上に 上手でした。
なのに、勉強をさせられてました。
あわへんのに。。。 ザンネン
そう考えると、
私は、意外に助かったのかもしれません(^_^;)
なんか、話がそれていきました。
しかし、
こんなぶらぶらしていた私でも、勉強する時が来
そして、一応、それなりの高校に入れたので、
人生諦めたら、あかんちゅーことです

もう少し、続きます
