性暴力について知ることは、とてもつらい。


 けれど、春馬さんが巻き込まれた世界かもしれないと、いつも気にかけている。


 そうした業界ときっぱり縁を切った人の文章に、思いがけなく出会って、こころ打たれたので、そのことについて書いてみたいと思う。


 その筆者は、特定の性産業に誘導する記事を書いて、マージンのようなものをもらうしごとをしていた人だ。月に150万人もの人が見ると、マージンは350万円ほどにもなったのだという。


 けれど、ずいぶん長く稼いできて、筆者の心身が壊れてゆく。何のために、自分はこんなことをしているのか。


 きっぱりとこのしごとをやめた理由は、自分に嘘をつきたくないから。


 筆者のように、真摯に生きたいと願う人が、なぜ、このようなしごとを長年やってきたのか、私にはとても不思議なのだが、もともと、真実を見抜く目がある人だから、自分が嫌になり、止められたのだと思う。


 筆者の見た世界は、金になりさえすれば、どんな嘘も人権侵害も何もなくなる、欲にまみれた世界だ。その中にいると、どんどんマヒしてくるのだという。そして虚無におちいり、動けなくなった自分がいた。


 春馬さんも、この筆者も、自分の中に芯がああって、それを失わない感性と知性がある。


 春馬さんが、この筆者のように、自分を損なうすべてのものときっぱり縁を切って、春馬さんを助けようとする人たちの手で、海外に渡っていたなら。


 今、この筆者は、自分の新しいしごとに誇りを持っていると語る。


 今の自分にとって大切なのは、信頼できる人たちと笑い合って生きることだと。


 春馬さんが望んでいたのは、こういうことではなかっただろうか。


 そこにいてはいけない。そこから、出るんだということ。


 なぜ、その筆者は、そこから出られたのだろう。その筆者の持って生まれた性格と共に、私はこの人が、他者に慈しまれて育った人だからではないかと思った。


 慈しまれて育った人は、強い。


 春馬さんにもあったであろう、別の人生を、今、生きている人がいた。