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【広島発】イメージコンサルタント☆米田奈美のブログ

『美しさ』、それはあなたの中にあります。
みんなと同じものを外から重ねるのではなく、内から外へ出していくもの。
ご自身の魅力に気づき、育み、表現できる、そんな女性になってみませんか。


皆さん、こんにちは。
女磨きを伝えるイメージコンサルタント米田奈美です。



昨日に引き続き、
今日もタイ時代のお話を書かせて頂きます。



新しい生活を始めて驚くことはたくさんありましたが、
一番ビックリしたのは、口を開かなければ
ほぼ100%タイ人に間違えられたことでした。ビックリ!



あまりにも頻繁に間違えられるので、
ある時「どうしてそう思う?」と聞いたところ、これまた100%
「色が黒いから・・・」という言葉が返ってくるではないですか。



確かに!笑



どうですか  馴染んでいますか


 
  


人の印象は、色・形・質感で作られますが、
私の場合は「色」が特に目立っていたのですね~。



そんな話はさておき、
住んでおりました6年の間には、多くの人との出会いや別れがあり、
様々な価値観に触れる機会に恵まれました。







総資産額トップ20に入る、驚くくらいリッチなCちゃん。
会社勤めをしながら、自分が美味しいと思ったパンを
出勤前に大量に仕入れ、職場で販売する商魂逞しいYちゃん。
外資系企業を渡り歩き、実力を頼りにかっこよく生きるWちゃん。
自家用ジェットを所有するリッチレディ、でもファストファッション好きのPちゃん。



そんな個性豊かな女性たちが、
外国人の私を優しく迎え入れてくれました。ハート。
 
  

町で出会う人にも、ビックリの連続。



歌を歌いながら仕事をしている人、sei
自分の化粧のほうが大切なコスメカウンターの人、
ヘアサロンで「どうやって勉強したの?」と聞くと
友達がやっているのをちょっと見学して開業したと答えた人、
お化粧室も、男性・女性・真ん中というトコロも!



そして、ご縁があって通っておりました施設では、
3~15才までの子供たちとの出会いがありました。
身寄りはあるのですが貧しく、近隣国からの不法入国であったり、
出生届が出されていないため、義務教育を受けることすら困難で、
勉強プラス社会性を身につけるために、彼らは通ってきておりました。



 



働いている子供もたくさんいます。
辛い環境に身を置いている子もいました。
ある日突然見かけなくなったと思ったら、
13才で夜の街に立っていた子もいました。



ですが、会えばそんな状況はほとんど感じさせない、
キラキラとした笑顔や、真っ直ぐな瞳を
私たちに向けてくれていた子供たち。
時には、どこかで覚えてきた日本語で
「おっかさ~ん」と呼びかけてくれる子もいましたが、
「やだ~、お姉さんよ」と抵抗したのは、言うまでもありません。笑



私はきっと、あのまま日本で生活していたら、
どちらの世界も知らないままで過ごしていたでしょう。



今でも、私の知っている世界は小さな小さなものです。



だけど、彼らが教えてくれた


●自分の力で、自分の人生を生きていく
●他人のことを羨んで苦しまない(今あるものに幸せを感じる)
●いいなと思った事は素直に伝える


当たり前のようでいて、気づいていなかった大切なコトは、
確実に私の中に何かを感じさせてくれました。キラキラ



そういう経験をしたからと言って
素晴らしく何かが変わったのかと問われれば、そうではありません。



だけど、小さな小さな変化は起こったような気がしております。



あの時があって、今がある。
あの人と出会ったから、今がある。



今日もお読み頂きまして、ありがとうございました。






皆さん、こんばんは。
女磨きを伝えるイメージコンサルタント米田奈美です。



仕事を辞め、その後6年間
海外駐在員の妻、いわゆる駐妻として
タイのパタヤという町で暮らしておりました。



 



初の外国生活。
楽しみで 楽しみで
ワクワクしながら引っ越ししたのは、2004年のことでした。



日本での生活と大きく変わったことは、この2つ


●専業主婦になり「マダ~ム」と呼ばれるようになり、その気になったこと(笑)
 ※私がというのではなく、皆そう呼ばれていました。konatu

●言葉が分からない生活になったこと
 ※タイ語は皆無、英語も自己紹介がやっとのレベルでした。あはは。。。




言葉ができなくても、せっかくの外国暮らし。
欧米人も多く住む町パタヤの住人になったのですもの~!
と、ミーハーな気持ちで、いろいろな集まりには顔を出しておりました。
しかし、毎回 話の内容はさっぱり分からない・・・。
「あなたは、どう思う?」なんて聞かれたら、もう汗だくです。
まさに、好奇心を満たしたい思い 辛さ のせめぎ合い。笑




アメリカ人ご夫妻宅でのクリスマスパーティー
 


タイ・中国・スリランカ・ポルトガル・ベルギー・インドネシア
イスラエル・チュニジア・日本・・・皆さんの共通語は英語。 
もちろん流暢に話す方はたくさんいらっしゃいましたが、
そうでない方も、皆よくしゃべります~。おしゃべり



そんな中、私はといえば。ムリ
最初の2年間は、伝えないとといけない事があっても、
理由をつけては主人に助けてもらって(押しつけて!)
逃げ回っておりました。ダッシュぷっ



しかし、ある出来事をキッカケに
自分の身は自分で守らねば!と強く思い、これまでの考えを改め、
言語に限らず『自分の足で立ちたい』と思い始めました。
これが、大きな転換点となりました。



それ以後は。



こんなことムリ~と思っていたけれど、
たまたまお鉢が回ってきて、英語で「盆踊り」の説明をし、
元MCの血が騒いだのか、ネタを仕込んでおき、
笑いが起こった時には小さくガッツポーズやったー。笑



 
  


いつもお世話になっている方に声を掛けて頂き、引き受けたものの、
後でかなり後悔しつつ行った 大学での【特別講座】。
日本語学科の学生の方対象なので、もちろん日本語で話します。
それでも、長時間話し、メッセージを伝えるというのは
初めての経験でドキドキもマックス。アゲアゲ↑アゲアゲ↑



 
ブラパ大学日本語学科の皆さんと


卒業と控えた皆さんに向けて、
講座のテーマは、「仕事について」。
この時も、しっかりネタも仕込み、
「さぁ、皆さんもご一緒に!」と早口言葉を
得意そうに披露したことを覚えております。  笑
後日理解度を確認するための、レポート提出された
学生皆さんには迷惑な話だったかもしれませんね。ニコ



長い時間かかりましたが、
『言葉とは、何か』
『人と人が関わるとは』

そんな事に気づきをもらった数年間でした。



明日に続く・・・。



今日もお読み頂きまして、ありがとうございました。








皆さん、こんばんは。
女磨きを伝えるイメージコンサルタント米田奈美です。



今日から3連休ですね。
この週末は、少し昔を振り返って記事を書きたいと思います。



短大を卒業後、地元テレビ局で
朝の番組のお天気キャスターを務めることになり、
声の出し方も、話す技術も、メイクすら分からないまま
仕事が先に決まり、まさにド素人のまま
あれよあれよとカメラの前に立つようになりました。



このままではいけない、と通い始めた
アナウンススクールマイクでは鼻濁音ができなくて、
「立っていなさい」と言われ凹んでいた私が、
今はそのレッスンをしている! 不思議ですね。Wハート



しかし、実力もなければ経験もない新人でしたので
多少の努力では仕事が増えるはずもなく、そんな時ある広告を目にして
モデル事務所のMC部の門をたたきました・・・。無謀でした。笑



それからは、おしゃべりの仕事だけでなく、CMに出演したり、
フラワーフェスティバルの山車に乗せて頂いたり、
子供の頃に人見知りをしていた人とは思えないような事を
たくさん経験させて頂きました。



 



20代前半は、顔がまん丸ですね。
間違って届いた私の衣装だけ、子供用 ピチピチです



携帯電話・自動車、産業機械など、
原稿を暗記して伝えるナレーターコンパニオンは
大好きな仕事の1つでした。



 



バブルの余韻がまだまだあった時代は、
こんなファッションもしておりました。にゃ汗



 



アジア大会では、開閉会式でプラカード担当。
日本チームの先導を熱望しておりましが、
担当したのはモンゴルチーム



 



毎年仕事始めは、NTTクレド広場のイベント。
こちらの会場では、様々な機会に声を掛けて頂きました。
それにしても、髪の色が。。。どうしましょう。。。えーっ!!



 



ちょうどこの頃、オフィスサカイ時代の
酒井淑恵先生(現ウィズブライト株式会社・代表)を知り、
京都に素敵な方がいらっしゃるわ~と思いながら
時折HPを見ておりましたが、同時に遠い世界の方とも感じておりました。
10年後にご縁ができるとも知らずに。


 
 



テレビ・ラジオ、イベントから講演会・パーティーまで
10年以上仕事をさせて頂くことができたのは、
まったくの素人だった私を育てて下さった方々との
ご縁があったからだと思います。



そんな皆さんに見守って頂きながら、
話すことが得意でなかった私が、より上手になりたいと


「どう伝えたら分かりやすいのか?」
「間のとり方はどうだろう?」
「視線の動かし方は?」
「立ち方も意識してみよう」



と、1つ1つ考えてきたことが今では財産宝になっています。



主人の転勤でタイに行くことが決まり、
仕事を辞めることになった時、
「やりたかったことは全てできた」と思えたことは
今でも、本当にありがたいことだと思っています。



あの頃があったから、今がある。



ここが、私の仕事の原点です。



今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。