●親の顔色ばかりを伺っていた私
こんにちは。伊賀明美です。
人生を振り返って、私が伝筆(つてふで)を教えることを通じて、どんなことをお伝えしたいと思っているのかを丁寧に紐解くシリーズ、第4回になります。
かなり間が空いてしまったので、読み直して思い出していただけると嬉しいです。
①あなたは今、幸せですか?
②楽しいピンクレディの振りマネ
③嫌と言えなかったあの時
嫌なことをされても、「嫌だ。」と言えなかった私。
それは家庭での経験がそうさせていました。
私の家は、父親が勤務医をしていました。
日夜、病気と闘う子どもたちのために、使命感を持って働いている父。
物心ついた頃から小学4年生まで、あまり父親の記憶がありません。
当時、私たち子どもが起きる前の朝5時には家を出て、帰ってくるのは午前様が多い。
ほとんど顔を合わせることはありません。
休みの日も、一緒に過ごした記憶がありません。
彼が父親ということは知っていたけれど、私の記憶の中では、背広を着て、スッと立っている姿が思い浮かぶだけ。
なので、生身の人間というよりも、キャンディキャンディに出てくる王子様のような、そんな印象を持っていました。
私には弟が2人います。
その3人の子育ては、必然的に全部、母親の仕事です。
すごく真面目な性格で、どちらかというと社交的な方ではありません。
実家もすぐに行けるところではありませんでした。
だから、あまり助けてくれる人はいなかったと思います。
必死で、自分一人で、子どもをきちんと育てようって思っていたんだと思います。
母は、日によってとてもカリカリして機嫌の悪いことがありました。
普通の時でも、きちんとすることを躾けようとしていました。
実際、私たち兄弟は、夜寝る時には、正座して、三つ指をついて、「お休みなさい。」と言っていました。
そう躾けられたので、みんなの家でもそうしていると思っていました。
機嫌の悪い日は、いつも以上に、厳しく怒られるので、びくびくしていました。
幼稚園か小学1年生の頃か、ある時、何かで母親にひどく叱られて、真っ裸で家の外に出されて、玄関の鍵を閉められたと言う記憶があります。
泣きじゃくって、家の周りを歩いていたら、怒って迎えにきてくれたと言う記憶。
私の脳裏にこびりついていた記憶です。
言うのもはばかられる記憶。
大人になってから、恐る恐るこのことについて、母親に聞いたことがあります。
そうしたら、「そんなことはなかった。」って言われました。
私もすごく昔の記憶で、今となっては、現実だったのか、夢だったのかも自分ではわからない。
夢だったとしても、そのくらい、母親のことを怖がっていたということだけは確かです。
小学生の頃は、「今、お母さんの機嫌は悪くないだろうか?」そればかりが気になっていました。
そして、機嫌が悪いなと思ったら、触らない。
絶対に、口ごたえしない。
そう心がけていました。
そんな時に、お母さんの意見と違うことを言うと大変なことになります。
だから自分の意見は言わない。
そうやってきたんです。
なので、人に自分の意見、特に反対の意見や文句を言うなんてことはできなかったんです。
それが家庭でうまく過ごす私の処世術だったのですから。
こうやって書くと、なんてひどい親なのだろうと思うかもしれませんが、決してそんなにひどい母親ではありませんでした。
悪いことをすれば、激しく怒るし、手も上げる。
でも、衣食住に困ったことはないし、やりたいことはやらせてくれました。
父から生活費としてちょっとだけ渡されたお金で、なんとかやりくりをする生活。
今でもぜんぜん贅沢なことはしない母ですが、それでもかなり頑張っていたと思います。
また、以前、記事に書いたことがありますが、父は9人兄弟の9番目。
とても口うるさい姉(小姑)が何人もいます。
当然、うちが一番子どもが小さいのです。
法事の時に、弟がちょっとちょろちょろしたら、母と弟が別室に呼び出されて、すごく怒られたそうです。
母は、私に似て、(というか私が母に似ているのですが、)目上の人に口ごたえしない。
神妙に聞いていたそうですが、嫌な気持ちは溜まります。
その分のツケは私たちにくる。
その後の母の怖いことったら。
私たちのせいで怒られているのだから、きっちりしなさいと。
今、自分も大人になって、母になって、当時の母が大変だったことも、わかります。
だけど、当時、自分が辛かったことも確か。
母は、自分のことに精いっぱいだったから、きっと私が学校で嫌な思いをしていたことは、気づかなかったんだろうなと思います。
そんなことは言わなかったし、ある意味、手のかからない良い子でしたから。
私自身も、もっとわがまま言っても良かった。
でも、当時はこうするのが一番生きやすい方法でした。
私が、みなさんに、特にお母さんたちに、自分を大事にしよう。
もっともっとあなたは褒められていい。
そうお伝えしているのは、この幼少期の経験があるからです。
お母さんが、幸せであること。
それが何にもまして、子どもの幸せにつながると思うから。
私の講座が「褒める」を大事にしているのは、こういう理由からです。

次回は、ますます私が、自分のことを周りとは違う価値のない人間だと思うようになった次のきっかけについて、話していきたいと思います。
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主に札幌で活動しています。
千歳、苫小牧、砂川、滝川、旭川、帯広、斜里、函館、北広島、江別、兵庫県明石市、兵庫県芦屋市、大阪市、東京で開催実績があります。
稚内、伊達、紋別、根室、今金、恵庭、石狩、小樽、岩見沢、深川、留萌、美瑛、安平など全道各地、また兵庫県、大阪府、東京、神奈川県、埼玉県からも参加していただいています。
北海道全地域、道外もご要望があれば開催します。お気軽にお問い合わせ下さい。
こんにちは。伊賀明美です。
人生を振り返って、私が伝筆(つてふで)を教えることを通じて、どんなことをお伝えしたいと思っているのかを丁寧に紐解くシリーズ、第4回になります。
かなり間が空いてしまったので、読み直して思い出していただけると嬉しいです。
①あなたは今、幸せですか?
②楽しいピンクレディの振りマネ
③嫌と言えなかったあの時
嫌なことをされても、「嫌だ。」と言えなかった私。
それは家庭での経験がそうさせていました。
私の家は、父親が勤務医をしていました。
日夜、病気と闘う子どもたちのために、使命感を持って働いている父。
物心ついた頃から小学4年生まで、あまり父親の記憶がありません。
当時、私たち子どもが起きる前の朝5時には家を出て、帰ってくるのは午前様が多い。
ほとんど顔を合わせることはありません。
休みの日も、一緒に過ごした記憶がありません。
彼が父親ということは知っていたけれど、私の記憶の中では、背広を着て、スッと立っている姿が思い浮かぶだけ。
なので、生身の人間というよりも、キャンディキャンディに出てくる王子様のような、そんな印象を持っていました。
私には弟が2人います。
その3人の子育ては、必然的に全部、母親の仕事です。
すごく真面目な性格で、どちらかというと社交的な方ではありません。
実家もすぐに行けるところではありませんでした。
だから、あまり助けてくれる人はいなかったと思います。
必死で、自分一人で、子どもをきちんと育てようって思っていたんだと思います。
母は、日によってとてもカリカリして機嫌の悪いことがありました。
普通の時でも、きちんとすることを躾けようとしていました。
実際、私たち兄弟は、夜寝る時には、正座して、三つ指をついて、「お休みなさい。」と言っていました。
そう躾けられたので、みんなの家でもそうしていると思っていました。
機嫌の悪い日は、いつも以上に、厳しく怒られるので、びくびくしていました。
幼稚園か小学1年生の頃か、ある時、何かで母親にひどく叱られて、真っ裸で家の外に出されて、玄関の鍵を閉められたと言う記憶があります。
泣きじゃくって、家の周りを歩いていたら、怒って迎えにきてくれたと言う記憶。
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大人になってから、恐る恐るこのことについて、母親に聞いたことがあります。
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悪いことをすれば、激しく怒るし、手も上げる。
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父から生活費としてちょっとだけ渡されたお金で、なんとかやりくりをする生活。
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母は、私に似て、(というか私が母に似ているのですが、)目上の人に口ごたえしない。
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