

語りつづけている真那井御前。
その愛は
どこまでも深く


どこまでも優しく





2014/09/04 23:37:42
∞† 八大龍王と役小角 †∞
テーマ:《 直観 》
4[八大龍王と役行者]
八大龍王は役行者=役小角(624~710)が奉斎したことで知られる。
役小角は聖徳太子没して12年後、
*明6年に葛城山の麓、
茅原の里(現御所市)に出雲の加茂氏と葛城氏の娘との間に生れ、
仙道、道教、古神道、仏教を学んだ。
これに満足せず、
人間完成への探究と実践こそ神仏の境地到達の道であり、
国家安泰、万民幸福の道である(今宮神社資料集、平成7年)、と悟り、
更に難行苦行し、
箕面山で龍樹から乱れた世を救う悲報を授かった。
吉祥草寺、蔵王堂をはじめ、
関東では日輪寺(茨城)、大平山三吉神社(秋田)、金嶺神社(山形)、熊野神社(山形、温海町)など、
役行者開基や何らかのかかわりをもったと伝えられる寺社は四十余ヶ寺数えられるという。
それ程に力を持った役行者については、
「超人、役行者小角」(志村有弘、角川書店、平成8年)に、
「神変不可思議、得体の知れぬ謎の超人」と述べられている。
その役行者が11才の時(645)に、
大化改新を迎えている。
38才の時には、壬申の乱(672)で天武軍を援け、
その後天武帝に重く用いられたといわれている。
真剣に国家安泰、万民幸福への道を探り、
衆生を教化して、
人々を仏の道に誘うことを願って「行学」の限界を修め、
遂に神仏習合の神々を時と処に尋ねて、
祀っていった。
その結果、
農耕国家かつ仏教国家にとって
「水から生れる発想や自然の摂理」を祀ることと共に、
「国家安泰、万民幸福」を国家的規模で祀る重要さを感じていたことが推定できる。
「水と観音」が一体となった姿、
それが八大龍王でありそれは、
万物の生命の根元であり、愛でもある。
そして生きる力でもあり、真理である。
5[役行者はなぜ八大龍王を秩父に祀ったか]
699年に伊豆に流された役行者は、
701年に罪を許されている。
その後箕面に住んだが、
その頃知々夫(713年に秩父となる)の地に訪れている。
その地には既に御巫八神が祀られていたからに他ならない。
そして八首の龍王(八大龍王)を合祀して八大宮と称した(御巫八神の項参照)。
神界で最高の神格をもたれた八神と、
仏界で大日経系の胎蔵界の最高尊格を持たれる大日如来との橋わたし役をされる使命を八大龍王にみたのであろう。
観音菩薩と不離一体であるという八大龍王の(御神徳=力=教え)に、
役行者は、将来の希望即ち国家安泰、
万民幸福の願いをたくされたのではなだろうか。
「・・・その後相州の八菅山(703)そして和銅3年(710)に入定した。」(志村有弘、超人役行者小角)という。
果たせるかな、秩父はほどなく、行学を修め、
人間探求と実践並び神仏の境地到達の道を求める修験道の一台拠点(聖護院直末寺、大先達)となり、
その後500~800年を経て天文五年(1536)観音札所34ヶ寺が整えられた。
そして江戸の発展に伴い、
多くの巡礼を受け入れ、
観音札所と八大現社(今宮八大宮)は共々盛んとなった。
しかし、
明治維新と太平洋戦争敗戦の荒波と、
観光商業主義の世情の中に、
御巫八神と八大龍王を祀る八大宮はしずまられ、
およそ130年の間、
お隠れになる日々を余儀なくされたのである。
6[明日を拓く水分の神]
明治維新から130年、
再び「水」の神徳を求める人が増えて、
八大龍王はあらためて水の神として、
又、神と仏の橋わたしの使命をもたれて顕れ出られる時を迎えようとしている昨今である。
このような時を迎えることが出来たのは、
昭和から平成にかけての観音信仰、
札所めぐりの復活である。
特に百観音めぐりを世に出された浅草寺清水谷孝尚師、
満願寺平幡良雄師の尽力は特筆されていくだろう。
かつては御巫八神→八大龍王→観音菩薩という順序で祀られた神仏だが、
激動の明治→平成を経て観音菩薩→八大龍王→御巫八神の順で光があてられていくのだろうか。
三者が揃った時、
いかにすばらしい世になるのか想像して見たくもなる。
いずれにしても、時代が大きく動くとき、
価値観の移動がなされる時に働かれた神であったらしい。
時代の要請で平成九年*サミットが長野の上田市の提唱で開催された。
そして平成11年は奈良県の舟生川上神社で開かれるという。
しかし、時代のうつりかわりをよそに、
龍神信仰の珍しい神事の一つに秩父今宮神社の水分祭がある。
これに先立って毎年4月4日、
龍神木前で、龍神を称える龍神祭。
続いて今宮神社の「水分祭」が行われる。
この水は武甲山の伏流水がわき出しているところである。
この日は秩父神社のお田植祭(祈年祭)でもあり、
秩父神社から神官、伶人、神部(かんべ)(農家の代表)、
市や町会の代表者が「水乞い」に来られる。
今宮神社から秩父神社に八大龍王並びに八神の御神徳=※生きとし生けるものの生命の源、
生成発展の力=を「水幣(みずぬさ)」に託して授与する日である。
水幣は八大竜王(明治期以降は靇(おかみ)の神)即ち「水」と「自然の法に則した教え」の象徴でもある。
この恵みによって秩父神社のお田植え祭が行われる。
そして秋になると稲が収穫され、
新殻が秩父神社から今宮神社へ奉納され、
そして水は山(武甲山)へ返される。
神々を称え、そして感謝するおまつり、
それが12月3日の秩父神社の夜祭で、
豪華な付祭はあまりにも有名である。
龍神様の卵好きはよく知られる。
この外、神共には毎夜丑の刻、
米3升を炊いて供え又、特に梨を好まれる。
「時により過ぐれば民のなげきなり、八大竜王雨止め給え」(金槐集、源実朝)は、
建歴元年7月洪水天に漲(みなぎ)りて土民苦しみしかば右大臣実朝が詠じた歌として知られる。






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