我が家の息子 ドラ夫が
今年になって
ものすごいニキビが できた
もう 20代後半なので
吹き出物
というのかな
顔全体が 赤く腫れ上がり
ぶつぶつになって
見るも無残な 状態
もともと 彼は
思春期の時
あんまり ニキビとは縁がなく
肌は 健康な方だ
と 思っていたんだけど
いや 今回は
突然に 花盛り
ウイルス感染とか 不規則な生活
食生活の乱れ 等など
思い当たる原因は 特にない
と 言うし
病院で処方された薬を
飲んだり 塗ったり してたんだけど
さっぱり 効果もなく
私は
多分
ストレスから 来ているんだろうなあ
と 思っていた
ドラ夫は 小さい時から
風邪とかには めっぽう強いのに
朝になると お腹が痛くなったり
過呼吸になったり
肺気胸になったり
ストレスが原因
と されるような病気には
よく かかった
その エネルギッシュな行動からは
全く 想像できないけど
だけど
彼は やっぱり 繊細なんだよね
ホント
信じられないけど
だから 私
ドラ夫を 見誤ってしまった
後悔しても しきれない
子育ての大失敗をしてしまった
あの時
ドラ夫が4歳 ドラ子が2歳の時
私は 当時住んでいたアメリカから
二人を連れ
仕事の為に 一時帰国していた
3ヶ月ほど実家に滞在し
こどもたちを保育園に入れ
(当時は 比較的簡単に
入れたんだよね)
せっせと マンガを
描くつもりでいたんだけど
日本に来て 早々
私は 大病を患い 入院 手術
そして その後
通院も必要だったので
最初の予定を 延長して
日本に滞在
せざるを得なくなってしまった
数ヶ月経って 夫から
ドラ夫が
秋から キンダーガーテンに入る
年齢になるけど どうする?
と 言ってきた
キンダーガーテンは
日本語で 幼稚園 と 訳されるけど
現地では プレスクールとして
一般に 小学校に付属している
私たちは アメリカで
ドラ夫を 3歳から
日本語のナーサリーに 入れていて
英語の環境に入れるのは
英語が母国語の子どもも
そうでない子どもも
一斉に英語の勉強が始まる
キンダーから
と 決めていた
もちろん キミが
東京で 子どもたちと一緒にいたい
と 思うなら
それでもいいけど
もし キミが
ドラ夫を 入学に合わせて
キンダーに入れたいなら
ボクの母親が
フロリダから来てくれる って
言ってるよ
夫から そう言われて
私は 迷った
だって
東京では 私の母が
保育園の送り迎えを
引き受けてくれていて
本当に助かってたけど
それでも
こどもたちが
保育園から帰ってきたら
やはり
横になってばかりはいられない
一緒に遊んだり 寝かしつけたり
それは 病身には それなりに負担で
特に ドラ夫は
エネルギーの塊みたいな子
だったので
ドラ夫は
ママが 大好き
私も
ドラ夫と離れるのは
ちょっと 寂しい
ドラ夫にとって キンダーで
お友だちと一緒に
英語を覚え始めるのは
気持ちの上での負担が 少ないだろう
ドラ子だけだったら
私の体の負担も軽く
病気の回復も 早くなるだろう
なんて 色々な考えが
ぐるぐると頭をよぎり
私は 散々 悩んだ
そして
最終的に 私は
ドラ夫を キンダーの入学に合わせて
アメリカに帰すことにした
それは 果たして
ドラ夫の為を思って 出した
結論だったのか
夫が ドラ夫を迎えに来た時
新しい生活を
彼が 楽しみに迎えられるように
夫婦で 役者になって
盛りに 盛って
説明した
それでも ドラ夫は
ボク ママと一緒にいる
と 言った
その後
どんなに 盛りを足していっても
彼の答えは 同じだった
私は
このことを決める時に
ドラ夫の気持ちを聞かなかったことを
後悔した
でも 4歳の子に 何がわかる?
夫が 3日ほど日本にいて
ドラ夫を連れて アメリカに帰る日
父の運転で ふたりを
空港までのリムジンバスが出る
最寄り駅まで
送っていった
ドラ夫は
車の中でも 私にしがみついて
いやだ いやだ ママと一緒にいる
と 言い続けていた
そして 車から降りる時
ドアに貼りついて
決して降りようとしない
オロオロしている 夫と私に
父が
何やっているんだ
さっさと降ろしなさい
と 怒鳴った
父は 大正生まれの 元海軍士官
当時でも化石のような 軍人気質を
引きずっている人だった
私は ドアから
一本一本 指を剥がし
夫が 外から引っ張り
ようやく ドラ夫を 車から降ろした
と 思ったら
降りた途端 ドラ夫は
今度は すばやく
傍にあった 電信柱にしがみついて
離れない
そこで 天を引き裂かんばかりな声で
大泣きしている
まるで
世界の終わりに 直面したように
周りの人が 何人も
遠巻きに見ていた
わずか4歳の子が
全身全霊で 拒絶している
私は 後悔で
胸が張り裂けそうになった
こんなに イヤがっているのに
私は ドラ夫に
何をしようとしているんだろう
もういいよ 連れて行かなくて
一緒に お家に戻ろう
私が そう言った時
父が
子どもを甘えさせるんじゃない
もう 決まったことだ
と 大声で 一喝した
さあ ドアを閉めろ 帰るぞ
その言葉に驚いて
夫がドアを閉めると
父は
ドラ夫と夫を置いて
さっさと 車を発車させてしまった
後部座席から 私が後ろを振り返ると
ドラ夫は 電信柱のところで
呆然と 黒い穴のような目で
じっと こっちを見ていた
米国に到着してから
電話がかかってきて
夫は
ドラ夫は 飛行機の中で
とてもいい子にしていたよ
ぜんぜん 泣いたりしなかったよ
と 言った
ドラ夫とも 電話で話したけれど
拍子抜けするくらい そっけなかった
私は 少しホッとした
その後
夫と 義母と ドラ夫の
3人の生活が始まったのだけど
いつ電話しても
夫も 義母も
ドラ夫は 本当におとなしくて
聞き分けが良くて
何も困ることはない
と 言っていた
最初のうちは
義母に まだ 慣れてないのかな
なんて 思っていたのだけど
でも
毎回 同じように
おとなしい
と 言われ続けて
少しづつ 違和感が募っていった
だって
私の知ってるドラ夫は
エネルギッシュで
夢中になったら
周りが見えなくなる
大人にとっては
とてもめんどくさい子だ
そんな
おとなしくて 聞き分けがいい
なんて
あるハズ ない
でも
そう 感じてはいても
その時 私は
そのことが 今後に どう影響するか
そんなこと
考えもしていなかった
それから 半年ほどして
ようやく
私は アメリカに戻った
ドラ夫は キンダーの入学時から
英語が母国語でないこどもたちが
英語を学ぶために 入る
ESL
(English as a Second Language)
に入っていたんだけど
周りの子どもたちが
2~3年で そのクラスを
卒業していく中で
ドラ夫は
何年経っても
そこから出られなかった
ドラ夫の後から
親の転勤などで ESLに入ってきた
母国語しか話せない子どもたちも
次々 先に卒業していった
だから 彼は 当然のように
学校の成績も
ものすご~く 悪かった
英語が 理解できてないんだから
英語での勉強が
できるワケ ないよね
私は その間
下手な英語で
アメリカ人のママ友をつくって
その子どもに 遊びに来てもらったり
英語の家庭教師をつけたり
現地のサッカーチームや
ボーイスカウトに入れたり
親として できることは
やったつもりだけれど
それでも
彼の頭に
英語が入ることは なかった
何か 脳に異常があるのかな
そう思って
病院に連れて行ったこともある
そして 小学校5年生の夏
友人に誘われて 気まぐれに
日本人学校に
体験入学させたことが きっかけで
ドラ夫は
現地校から そこに
転校することになった
夫が アメリカで起業していて
永住するつもりだった
我が家にとって
子どもを 日本人学校に行かせる
ということは
本来
ありえない選択だったのだけど
現地校で 成績が悪く
友だちもできず
朝になると
腹痛を訴えていた ドラ夫が
自分から
日本人学校に行きたい
と 言ったのだ
親として
拒絶なんて できなかった
その後 ドラ夫は
中学卒業まで
本当に楽しい学校生活を 送った
と思う
友だちも たくさんできて
日本へ帰国しての高校受験も
みんなと一緒に 頑張って
難関校に合格したし
未だに その頃の友だちとは
仲良くしているようだし
そんな ドラ夫の劇的変化を
目の当たりにして
私は
ドラ夫が 英語が 全然
できるようにならなかった理由に
ようやく 思い至った
彼にとって
英語は ママとの別れと同時に
訪れたものだったから
だから
頭が 英語を拒絶した
身体が 英語を拒絶した
何年かかっても
受け入れることは できなかった
そのくらい
彼はあの時 傷ついたのだ
私が 傷つけてしまった
ごめんね
だから 私
ドラ夫が とてつもなくナイーブだ
って
実は わかっている
その
頬のニキビの 理由だって
